ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
エピローグ




 貴人を収監する王城西の塔は、快適とは言えないがそれほど酷い環境ではなかった。床や壁は石造りで硬い雰囲気だがすきま風もなく、この時期は造りの良いセルフィーユの城でも分厚い壁掛けを用意しているほどなのに底冷えもない。
 逮捕されて二日目、取り調べもなく昨日一日を過ごしたリシャールは、実に退屈を持て余していた。することもないので一日寝ていたのである。
 骨休めにはなったが、実に退屈だ。
 今日はどうしたものかなと考えたところで、予定を自分で決めるにも無理があった。
 だが幸いなことにベロム男爵が現れ、リシャールは朝食の前に釈放を告げられた。

「リシャール!」
「カトレア! 公爵様!」
 そのまま案内された一室では、当然のように家族が待っていた。
 アーシャに手紙を預けたのが一昨日の午後であったことを考えればカトレアが王城に居ることはありえないことではなかったが、釈放されてすぐに会えることは実に嬉しい。随分と心配も掛けたはずだ。
「ああーう!」
「うん、マリー!」
 ひとしきり喜んだ後で、リシャールは公爵に頭を下げた。
「ご心配とご迷惑をおかけしました」
「いや……王城に怒鳴り込んだはいいが、実は何もしておらんのでな。
 まあ、お主が無事ならそれで良い。
 表に出たばかりで状況もわからんだろうが、とにかく着替えを済ませろ。
 マリアンヌ様とアンリエッタ様がお待ちだ」
「はい」
 気になるが、釈放に至った詳細は後で聞くしかない。
 着替えたリシャールは、子爵家当主としては王城での礼則に欠けたマントと杖を佩用しない格好で、公爵に連れられて王城奥のサロンに連れていかれた。

「大事なところだけ読み上げますぞ。
 あー……『一つ、セルフィーユ子爵については逮捕記録を抹消、釈放後に陞爵、セルフィーユ伯爵として現封土に加えて新たに北東部国境周辺の『四』領の領主に封じ、トリステイン北東部国境の防備を命ずる』……事の顛末はこのようになりましてな」
「……はい?」
「裁判が行われぬどころか、逮捕の事実もありませぬ。
 口外をしないと約して貰わねばなりませぬが、なに、廟堂では『よくあること』ですな」
 リシャールは狐に摘まれた気分で、マザリーニが告げる顛末を聞いていた。
「これからもアンリエッタをよろしくね、リシャール」
「は、はい、マリアンヌ様!」
 つい今朝方までは命の心配さえしていたのだが、陞爵の上四領拝領とは、義父らはどれほどの立ち回りを廟堂で演じたのだろう。無罪放免だけで良いのにとは口に出来ないが、宰相にも公爵にも一生頭が上がるまい。
「さ、リシャール。
 跪いてくださる?」
「はい……」
 釈然としないどころの話ではないが、アンリエッタに促されてマリアンヌや家族が見守る中、リシャールは跪いた。
 肩に錫杖が当てられる。今は震えていなかった。

「子爵リシャール・ド・セルフィーユよ、我と祖国への汝の忠義と功を鑑み、本日ただ今を以て伯爵へと陞爵する。
 現セルフィーユ領に加えて四領を加増し、同時に空賊討伐の功を以てシュヴァリエに叙する」
「……謹んで、お受けいたします」

 子爵への陞爵より約一年、駆け足に過ぎるが貰えるものなら貰っておこうか。正直、頭が状況に追いついていない。
 ……実際数日して、領地も爵位も何とか断る方法はなかったのかと頭を抱えたリシャールであった。

「セルフィーユ伯爵リシャールよ!」
「はっ!」
「与えた領地はいずれも国境に位置する。
 汝にはトリステイン王国軍予備役准将の地位を与える故、トリステイン北東部国境の警備と安堵に精励せよ。
 よいな?」
「御意!」
「よろしい。
 伯爵の努力に期待する」

「……ところで、リシャール」
「はい、姫殿下?」
 杖をリシャールの肩に当てたまま、アンリエッタは平素の声でリシャールに話しかけた。
「一つだけお聞きしたいことがあるの。……よろしくて?」
「もちろんです」
 儀式は終了しているので、リシャールの緊張を除けば特に問題はない様子だ。
「リシャールはフネで、そう、戦いが終わった後だったかしら、『セルフィーユ家の名誉』と言ったわよね」
「はい、口にしたと思います」
「……気になっていたのだけれど、リシャールはあの時、もう自分が逮捕されることを知っていたのかしら?
 自分の家が潰れても、王家にだけは傷つけまいとしたの?」
「いいえ」
 逮捕されるまでは、そのような展開は想像もしていなかった。ただ自分が逮捕と聞いて状況を俯瞰した時に、ありうることだと想像はつけられた。
「では、どういう意味合いで『セルフィーユ家の名誉』と口にしたの?
 ……その時はよくわからなかったけれど、今は予言にさえ思えているわ」
「いえ、そのようなものではなく……」
 リシャールは赤面した。そこまで気を回されると恥ずかしさが先に立つ。
「私はこの事件について、以後アンリエッタ様のところには情報が流れるまいと思っていたのです。
 アンリエッタ様はあの時、『アン・ド・カペー』と名乗られていましたし、公式にもそうなっています」
「……ええ、そうね?」
「あの時襲撃に遭遇したのは『アンリエッタ・ド・トリステイン姫殿下』ではない上に、たかだか一諸侯のフネが襲撃を受けたという知らせとその後の処遇が、逐一姫殿下の元に届くはずもないと思ったのです。
 ここ数ヶ月で、アンリエッタ様の元には、私のフネ以外の空賊の情報や被害について、何かお知らせはありましたでしょうか?」
「いいえ、ないわ」
「はい、通常はそれで良いかと思います。
 ……お恥ずかしながら、私の元にも領内での小さなこと、例えば食い逃げで誰々を捕らえた、などという報告は書面でしか届かなくなりました。昔は自分で裁いていましたが、いまはもう無理なので王国と同じく法務を担当する司法官を置いています。
 しかし、『アン・ド・カペー』殿にとっては過ぎたことでも気になる内容でありましょうし、事件が落ち着いた頃にもういちどお聞きになれば、今後の政務のご参考になるかと思ったのです。
 小さな事でも流れを知っているのといないのとでは、随分とその先の応用に違いが出てくるものですから、そのことを旅程を通して学んでいただいたとすればそれは『セルフィーユ家の名誉』だなと、そう思ったのです」
「そうね、ええ、本当に勉強になりましたわ。
 『セルフィーユ家の名誉』の意味も含めてね。
 ……でも、逮捕はもうなしにして下さいましね?」
 とんとんと、リシャールは錫杖で肩を叩かれた。

「でも、本当に無事で良かったわ」
「ごめん。
 逮捕されるなんて、流石に予想していなかったよ。
 公爵様にも宰相閣下にも、それから王家のお二人にもご迷惑のかけ倒しだったんだろうなあ。
 他にもいっぱい……もちろん、カトレアとマリー、アーシャにもだよ」
 近日中の王城再訪を約束して、リシャールは一度セルフィーユに帰還することにした。流石に領地を開けっ放しでは、色々と不都合があるのだ。時間的には逮捕の動揺が伝わる間もなく釈放されたようだが、もちろん王都の港で『カドー・ジェネルー』に乗る前に、両親やラ・ロシェールのラ・ラメー艦長には手紙を出したし、王都の祖父の元には顔を出していた。
「きゅい」
「うん、アーシャもありがとう。
 いっぱい飛んで疲れた?」
「きゅいー」
 彼女が夕方のラ・ロシェールから一夜かけずにセルフィーユに戻り、更にそのまま今度はアニエスを乗せてラ・ヴァリエールへ飛んだのが翌日の早朝であった。おかげでリシャールが王城に収監された日の午後には、ラ・ヴァリエール公爵は王城にて宰相の執務室を尋ねることができていたのだ。
「おお、よしよし。ご機嫌だな。
 ……ああ、マリー! そこはいかん!」
「あうあー!」
「マリーお嬢様!」
 その公爵は帆柱の向こうで抱きかかえたマリーに自慢の髭を引っ張られているが、それもまた一つの幸せだろう。公爵の髭に触っていいものかどうか、ヴァレリーが困っている。傍らに控える公爵家筆頭執事のジェロームが、実に幸せそうな様子でそれを眺めているのが印象的だった。
「ねえ、リシャール」
「なあに?」
 リシャールらの乗る『カドー・ジェネルー』号は、ラ・ヴァリエールを目指すことになっていた。カトレアが王都まで飛ばしてきたのだが、帰りは公爵を送り届けると同時に、マリーの顔をカリーヌに見せる予定を組んでいる。公爵だけがマリーに会うと、一方ならぬ不都合があるらしい。
「お城に帰ったら、リシャールの手料理が食べたいわ。
 前に作ってくれたものがあったでしょう?」
「うん、もちろん」
「ありがとう」
 帰城しても書類仕事は溜まっているし、とんぼ返りで王城と、そして中途半端になってしまった『ドラゴン・デュ・テーレ』と空賊フリゲートの後始末もある。
 新たに拝領した四領も国境警備の命令も、たぶんリシャールを悩ませるだろう。
 もしかしたら、襲撃してきた空賊の件も長く尾を引くかもしれない。
 考えるまでもなく、問題が山積みだ。
「閣下、間もなく出航であります!」
「ええ、頼みます」
「了解!」
 だがまあいいかと、リシャールはカトレアの腕を取った。
 忙しいのは、いつものことなのだ。

(了)






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