ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第九十二話「見せかけの真実」「セルフィーユ子爵家当主リシャール・ド・セルフィーユ閣下、貴公を逮捕します」 その時、自分はどのような表情をしていただろうか。 「私は貴族院議員、ベロム男爵オクタヴィアン・ピエリック・ド・ラコルデール。 見届け人として派遣されております」 「私は高等法院の上級司法官で、本件担当者のルイ・フェルディナン・ド・マラルメであります」 貴族院の議員と高等法院の官吏は、リシャールに向かってそれぞれ貴族院の認可状と高等法院の逮捕状を示した。 逮捕状の書面を見れば、確かにリシャールの名が入っている。上級貴族には不逮捕の特権もあるが、それは貴族院の認可状によってうち消されていた。間違いなく、正規の逮捕手続きが取られている。 「閣下……?」 「……ああ、ええ、失礼。 大丈夫ですよ、艦長」 襲撃から数えて六日、ラ・ロシェールに入ってからでも僅か四日。なんとも早手回しなことだ。 押しつけられた任務に余計なトラブル。無事に解決したかと思えばこの仕打ちである。 なんだかなあと、他人事のような気分でその紙切れを見ながら、リシャールはため息をもらした。事が大きすぎて頭がついていっていないのかもしれないと自分でも思うが、実感のないこと甚だしい。 「子爵閣下、そのような仕儀にて、申し訳ありませんが王都まで我々とご同道願います。 慶事などではございませんのでな、どうぞ不用意に騒ぎたてる事など無きようにお願いしたい」 流石に前世でも逮捕されたことはなかったが、抵抗はしない方がいいだろう。カトレアやマリーらに累が及ぶ可能性もあるから尚更だ。 だがリシャールの身はともかくも、義父が彼女たちの身に降りかかる火の粉を見過ごすとは思えない。運が良ければそのおこぼれで自分も減刑なり特赦なり……とまで期待するのは甘すぎるだろうが、多少は圧力がかかるはずだ。後見人である祖父らも黙ったまま座しては見過ごすまい。そこにだけは希望も信頼もある。 どうしたものかなと考えながら、リシャールは両手を揃えて差し出そうとした。 「議員閣下、官吏殿、しばしお時間を。 ……子爵閣下」 「はい、艦長?」 ラ・ラメーは貴族議員に頷いてからリシャールに向き直り、上から下まで眺めてからふむと頷いた。 「……この状況で落ち着いておられるのは大変ご立派ですが、この様な場合にもいくつか作法があります。 高言誠に失礼ながら、小官の話をお聞きいただいてもよろしいか?」 「ええ、もちろん」 役人達にも了承を取り、ラ・ラメーは作法とやらを話し始めた。 「このような事態の場合、まずは杖に賭けて逃亡をせずと誓い、その上で身支度や家族への手紙、部下への指示などの時間を請いますな。 杖とマントは最終的には預けることになりますが、今の段階では誓いの証として、誰かに持たせて身に着けず……」 ラ・ラメーの少しばかり長すぎる話の後で杖に誓った後、リシャールは塩入り香茶を振る舞われて複雑な表情をしている議員らに断りを入れ、従兵に杖とマントを預けてラ・ラメーと共に一度退出した。 「しかし、これはまた参りましたな」 「ええ。 ただ、上の人……例えば貴族院の立場で考えると、私は責任をかぶせるに十分な立ち位置だと思うんですよ」 カトレアらとともに送り返さずこちらに残しておいた従者らに着替えを手伝わせながら、リシャールは考え込んでいた。ラ・ラメーの言に頷いてはみたものの、覇気のある返事を出来ず曖昧に頷く。 リシャールも決して逮捕されたり酷い目に遭いたいと望んでいるわけではない。ただ、今回の一件の責任を誰かしらに押しつけ切り捨ててしまうとすれば、自分が最も好適な位置にいるのだろうなと思い至っただけだ。 情報の漏洩や実際の警備体勢について、自国の王女が内密の外遊中に襲われたという国の面子を『無能な』担当者を罰することで繕い、国や王権に傷をつけないように解決を図る。俗に『蜥蜴の尻尾切り』と呼ばれるこの手法は、権力機構を維持するための常套手段と言えた。この場合の『無能な』担当者とは、当然ながら外遊中のアンリエッタの世話をしていたリシャールであり、外遊中の王女の行動についてはフネを提供して一切を仕切っていたから、罰した場合に十分な説得力を周囲に与える立場であった。 無論、理解は出来ても納得はしていない。裁判なり何なりの前には、論法の穴を見つけたいとは思っている。……運良く公開で裁判が開かれ、なおかつ出来レースでなければ、の話ではあるが。 少し落ち着いて考えをまとめてみたが、アンリエッタが座乗していなければ単に襲ってきた空賊を返り討ちにしたで話が通るところが、彼女の存在が話を複雑にしていた。残念なことにアンリエッタを預かっていたことは既に貴族院や高等法院、つまりは他者に知られており、知らぬ存ぜぬで押し通すことは難しい。 この点を覆すことが出来れば、罪そのものが無かったことに出来そうなのだが……。 「ついでですがラ・ヴァリエールの娘婿が失態を犯したとなると、ここぞとばかりに責めるにも『とても都合がいい』気がしますね」 「召喚状か査問状ぐらいは小官も予想しておりましたが、逮捕は少々走り過ぎという気がしますな。 ……空賊が待ちかまえておったことと言い、どこかの誰かにとって、何か『とても都合がいい』裏があるのでは?」 「ええ、まあ、あるんじゃないかな、ぐらいには思えてきました。 『子供子爵』として、悪目立ちしていたのかもしれません。 絶対に誰かの恨みを買っていないかと言われると難しいところですし、逆恨みなら想像もつかないですね。 本当に接点が無くて、単に私が失墜する様子を面白おかしく眺めるためならば、それこそお手上げです。 もしも自分が逮捕されるなら……贈収賄じゃないかなと思っていたのですが、どうやら違ったようですね」 「ふむ、それはそれで困りものですな」 ラ・ラメーは出来の悪い冗談と受け取ったようだが、陞爵の時には祖父らを通して心付けをばらまいていたから、こちらが理由なら十分に論拠のある逮捕劇となる。今更に過ぎるが、無かったことには出来ないリシャールのアキレス腱でもあった。 「ただ、アンリエッタ姫殿下を危険にさらした罪、と言われると反論はしにくいところです。 こういった場合、結果よりもその事実自体を盾に取って目障りな相手の足を引っ張るのは、常道だと思うんですよ」 リシャールとしては不本意でも、そういった方法があることは知っている。これまで無警戒すぎた点や、王家や公爵家の傘に守られてきた部分もあるのかと思い至るだけの心の余裕は出てきた。幸い自ら経験したことはなかったが、似たような事例を思い出したからだ。 とある会社のイベントで、呼んだタレントが暴漢に襲われたが警備は万全でタレントに被害はなく、ステージ進行もほぼ予定通り進んだとする。ここまでならば良いが、ライバル会社やタレントのアンチファンは足を引っ張ろうとするし、世論は面白おかしいスキャンダルに飢えている。噂が事実をねじ曲げることは少なくなかったし、もっと悪辣に、対応を誤らせて失敗を引き出そうと無理難題が示されることもあった。 その結果、とある会社の評判は地に落ちるかも知れないし、呼ばれたタレントはその後の活動に差し障りが出ることもあるだろう。 今回の場合引き金は空賊でも、その後は誰かが甘い汁を吸おうとするのに丁度良いとリシャールに狙いを定めた、というあたりだろうか。 「ただ、自分が矢面に立つのはたまったものではありませんね。 胃を押さえたくなります」 「……閣下、アンリエッタ姫殿下を危険にさらした……その前提がまずおかしいとは、お思いにはなりませんか?」 「艦長?」 手近の椅子を引き寄せてどっかりと腰を降ろしたラ・ラメーは、腕を組んでリシャールを見上げた。 「そもそもですな、『ドラゴン・デュ・テーレ』にお乗りになられたのは宮廷女官『アン・ド・カペー』殿でありましょう? 少なくとも、小官はそう聞いております。 ところがやってきた役人どもは、アンリエッタ姫殿下が乗っていたことを事実としておりますな。 ……仮に『アン・ド・カペー』殿が、本当に『アンリエッタ・ド・トリステイン』殿下であられたとしても、何故彼らはそれを知っていて、我々には知らされておらなかったのでしょうなあ?」 「あっ!」 ラ・ラメーの指摘に、リシャールもようやく話の落とし穴に気付いた。 責任問題を云々する以前に、アンリエッタのアルビオン行きは秘密裏の行動であったはずで、彼女は王宮で病に伏せている『予定』と、マリアンヌからの手紙にも書いてあったことを思い出す。 リシャールに下された命は預かった女官を無事に送り届け、また無事に帰国させることであった。内実はともかく、書面上では預かった娘は王宮の女官『アン・ド・カペー』であり、『アンリエッタ・ド・トリステイン』ではない。周囲に乗せられず、自分はそのことを疑いも持たずに信じていなければならない筈であった。なにせ、事の次第を手紙に書いてリシャールに女官の同行を命じたのは、他ならぬマリアンヌ王后なのである。 仮に本物の女官であったとすれば、流れはどうなるか。 危険にさらしたと、その女官の親族からの詰問や叱責ぐらいはあるかもしれない。あるいは逆に、よくぞ無事に連れ帰ってくれたと感謝されたとしても、話の流れとしてはおかしくないぐらいだ。そしてそれらは情理であって、法に基づくものではない。 少しばかり無茶な論法であることは口にしたラ・ラメーも十分理解しているのか、リシャールを見上げてにやにやと笑いながら答えを待っている。先に無茶を通しているのは逮捕状の方だと気付いたリシャールの心持ちも、幾分持ち直した。 見せかけだけの真実を、真実として押し通す。 相手が王権を盾にリシャールへと無理を通すならば、些か不敬であれこちらも王権を錦の御旗として掲げ、拠り所にするしかないのだ。 「つまり私は……あくまでも預かった女官は『アンリエッタ・ド・トリステイン』姫殿下ではなく『アン・ド・カペー』嬢であり、お疑いならば王后陛下からの手紙を主張の論拠として提出できる用意があります……と、突っぱねればいいわけですね」 命令の根拠でもあるマリアンヌの手紙は、執務室のレターボックスに収めてある。事の発端でもあるが、今はどうやら身を救うカギに変わったらしい。 嘘を嘘で塗り固めているような気もしたが、なかなかに強い切り札でもある。王家に対し黒を黒と言うには、相応の根拠か対価、あるいは無謀に過ぎる蛮勇が必要だ。 「……ふむ、五十点ですな」 「う……まだ足りませんか?」 「『おや、王后陛下をお疑いで? これはまた何とも不敬なことで! いやいや、私にはとてもそのような真似は出来ませんな!』 ……ぐらいはふっかけてやるべきです」 はっはっはとラ・ラメーは高らかに笑い、リシャールもそれに釣られた。 「まあ、冗談はともかくも閣下、逮捕状を持ってきた役人にも確認の一言を入れておくべきですな。 これで多少の時間稼ぎはできるでしょうが……」 「はい」 「実際は裏から手回しせんことには、何ともなりはしませんぞ。 知り合いに頼むのは気が引けるなどと遠慮は不用です。 後で詫びて埋め合わせをすればよろしい。 ……この件に関して、閣下が確実に味方として信用できると断言しても良い人物、特に高い地位にいる方はどなたです? 手紙を出して助けを求められるがよろしいでしょう。 無理に自分の手だけで解決を図ろうとしても、良いことは何一つありませぬ」 なるほど、獄中から無罪を主張したとしても、取り合われないだろうことは想像に難くない。 「そうですね、まずは義父ラ・ヴァリエール公爵、宰相マザリーニ枢機卿猊下、それから無論……アンリエッタ姫殿下も」 義父は絶対的な信頼を置いてもいい、とリシャールは思っているし、それは恐らく事実だろう。 宰相は王家に対し絶対の忠誠と滅私を誓っているが、情による贔屓は引き出せずともリシャールの謀殺を妨げ、公正な裁判を行うよう口添えしてくれるぐらいには信じられる。 アンリエッタはある意味、リシャール最大の擁護者だった。何せ、姫殿下である。貴族には無茶なことも、王族の彼女ならば押し通すことも出来る……かもしれない。 「……小官には十分過ぎるように思えますが」 「我が身には過ぎた方々だと、私も思いますよ」 後見人でもある祖父エルランジェ伯爵、ギーヴァルシュ侯爵、アルトワ伯爵らは除外してある。義父の影響力の前では霞んでしまうのだ。 それにしても、そうそうたる面々ではあった。それ故今回の逮捕劇に至った側面もあるが、そこはもう気にしても仕方がない。 「……それにしても艦長」 「なんですかな?」 「随分とその……お詳しいのですね?」 ラ・ラメーは領主逮捕と聞いても慌てず騒がず、役人への対応から放免の手助けまで、流れるようにリシャールを誘導していた。ありがたくはあったが、空海軍の艦隊畑一筋であまり宮中や社交界とは縁遠い印象の艦長である。 「なに、事件の規模こそ比較になりませんが、小官も似たような理由で逮捕されたことがありましてな、ただそれだけのことです。 無論、お咎めなしでありました。 ……ああ、口封じに金貨の袋と昇進の約束を貰いましたぞ。 昇進の方は蹴り飛ばしてやりましたが」 それを聞かれるのを待っていたという実に楽しそうな表情で、ラ・ラメーは笑って見せた。 着替えと打ち合わせを済ませると、手早く現状をまとめ上げて似たような手紙を三通書き上げたリシャールは、アーシャに会うべく甲板に上がった。 「アーシャ!」 「きゅい?」 三日も甲板に留め置かれていた彼女は若干退屈そうで、それも含めて申し訳ないが、頼れる相棒として今からセルフィーユまで飛んで貰わなくてはならない。。 「いつも無理ばかり言ってごめん。でも、よく聞いて。時間がないんだ」 「きゅ」 「僕は王都に行くことになったんだけど、ちょっと困ったことが起きていてね、アーシャにもカトレアにもマリーにも暫く会えなくなりそうなんだ」 「きゅい!? きゅうう……」 「うん、心配してくれてありがとう。 それでこれなんだけど……」 リシャールは、手紙の束をまとめた小箱を風呂敷包みにしていた。 「これを必ず、カトレアに渡して欲しい。 その後はカトレアの言う通りにして、僕が戻るまでカトレアとマリーを守って欲しいんだ」 「……きゅー」 少し食い意地が張っていて、見かけは恐いが優しくて、負けず嫌いの大事な使い魔。 物わかりがいいのか、それとも使い魔のルーンのおかげでリシャールと気持ちが繋がっているのか。 彼女は迷いを見せつつも頷いてくれた。 「きゅい!」 「うん」 アーシャはリシャールの胸に軽く頬ずりすると、翼を広げてセルフィーユのある西の空へと飛び立っていった。 彼女に託した手紙は三通。そのうち、ラ・ヴァリエール公爵とマザリーニ枢機卿に宛てたものには、ラ・ラメーとすり合わせて考えた逮捕への経緯と論拠、空賊に背後関係が存在する可能性、そして罪を帳消しに出来る可能性のあるマリアンヌからの手紙の存在を示してあった。白々しいなと思いながらも他人に読まれても問題ないように、逮捕はあくまでも誤解であり、フネに乗っていたのは『アン・ド・カペー』嬢であると主張する内容に留めてある。自らバラしては元も子もないと、ラ・ラメーからは入れ知恵されていた。 残りの一通であるカトレア宛のものには、上記に加えてマリアンヌからの手紙を義父に託して欲しいこと、不在の間領地とマリーを頼むこと、それだけを書いた。 万が一の場合、などとは一言も記さない。 当の本人が最初から諦めては他人任せに過ぎるし、少しばかり体裁が悪いのである。 逮捕状を突きつけられてから数時間、夕刻になってようやく逮捕に至ったのだが、手錠も足縄も首枷も掛けられず、両脇に兵士が配置されているだけで拘束される気配は一切なかった。杖とマントは別に呼ばれた役人付きの従者が預かっているが、やはり丁寧に取り扱われている。聞いてはみたが、流石にセルフィーユ家の従者の同行は断られていた。 そもそも最初からして、リシャールの扱いは上等であった。姫殿下の身を危険にさらした責任を追及されている罪人に対するものとしてはちぐはぐな印象を受けるが、不思議に思って聞いてみても貴人の逮捕とはそう言うものだという。 「もっとこう、問答無用に取り押さえられたりするものだと思っていました」 「叛乱の首謀者を戦の末に追いつめて、悪あがきをする相手を捕縛……などという状況でもない限り、礼儀は互いに守られるべきものとして扱われます。 杖に誓っておいて自らの名を傷つけるような行為は、誰も庇い立てしませぬが……」 「うむ、うむ、正に。 艦長の言うように、ああいう手合いは実に見苦しい。 杖に誓う意味とは何なのか、説教を垂れてやりたくなるものです。 子爵閣下はその点ご立派ですぞ」 「はあ、ありがとうございます」 見送りの為にとラ・ラメーが後ろを歩いているがこちらも咎めだてはなく、リシャールと雑談をしていても誰も注意や叱責を行わない。ベロム男爵などは退屈なのか、雑談に加わってくる始末である。これでは誰が逮捕されたのかわかったものではなかった。 リシャールは『ドラゴン・デュ・テーレ』に別れを告げ、桟橋を登って軍港の上層にある竜篭の待機場までやってきた。 示されたのは四頭立ての、公用使がつかう立派な竜篭である。紋章は王政府のものが刻まれていた。 「ではラ・ラメー艦長、フネの方は『これまで通り』よろしくお願いします」 「心得ました。お早いお帰りをお待ちしております」 「では閣下、こちらへ」 互いに敬礼を交わし、リシャールは役人に頷いて竜篭に乗り込んだ。 三度目だなと、室内を見回す。 内装に飾り気はないが、勧められたソファなども見た目は地味だが良い造りである。 竜篭が飛び立ったことを確認して、リシャールは役人に逮捕は間違いではないのかと聞いてみた。 「預かった女官殿の名は『アン・ド・カペー』殿であると、マリアンヌ王后陛下からの手紙にはありました。 そもそも、アンリエッタ姫殿下の髪は金髪ではないと思うのですが、どうなんでしょう? 逮捕が何かの間違いであればよいのですが……」 「まあ、そうでありますな。 それに、閣下」 「はい?」 「王政府や貴族院、高等法院にいる者全てが閣下を貶めようとしているわけではありませぬぞ。 第一、閣下は姫殿下を守り通されたではありませんか。 そのことを知っている者もまた、大勢おります。 無論職務を疎かに出来るわけではありませんので、今しばらく閣下にはご不自由をかけますがな」 ……姫殿下を危険にさらした者に対する、やけに甘い態度の理由。 ベロム男爵が苦笑気味で、そしてマラルメ司法官がまじめな顔で頷いているところを見るに、逮捕を命じた者たちとは立ち位置がかなり違うらしい。 ほんと、やれやれだ。 肩をすくめたリシャールは礼を言ってから香茶を貰い、ソファに身を沈めて寝ることにした。 ラ・ロシェールから竜篭に揺られること一晩余り。起きると夜は既に明けていた。 窓からはそろそろ王都が見えてくるはずだ。 リシャールは腕を組んで半ば居眠りを決め込みながら、逮捕に至った経緯やその裏側のことをつらつらと考えていた。 リシャールの勝利条件は、無事にカトレアとマリーの待つセルフィーユへと帰ること。 敗北には色々あるが、いきなり極刑を言い渡されれば諦めるしかないにしても、国外追放から御家取り潰し、領地の召し上げ、爵位の剥奪や降爵、懲役、禁錮、謹慎、罰金、懲罰任務の履行などリシャールがその場で思いつくだけでも各種幅広い刑罰がある。可能ならば軽く済ませたい。降爵などはこちらから示して、爵位の返上によって罪を減じていただきたいと取引してもよいほどだ。 背景についても考える時間はあった。 もしも、襲ってきた空賊が、国内の誰かと繋がっていたとすれば……。 その誰かが狙ってリシャールを陥れたのであれば、この早手回しも納得が行く。根回しも最初から済まされていたと考えて良い。下手をすると簡易の秘密裁判にて弁護も反証もなく極刑を言い渡され、死人に口なしで誰かさんにとってはめでたしめでたし、という全くもってありがたくない筋書きが容易に想像できた。セルフィーユ子爵家は取りつぶされ、領地は王領へと戻るだろう。 空賊と繋がっているかいないか、つまりは自作自演のシナリオであるかどうかが明白になれば問題解決の糸口としては最良だったが、調べる時間もなく確かめようにも動きが取れない。 しかし繋がって居らずとも、義父へのあてこすりとしてならば、貴族院が満場一致で即日リシャールの逮捕を決めても不思議ではないような気もするので、断定は出来なかった。共通の敵を目の前にしたり、大手を振って相手を非難できる立場を得られた時、人は恐ろしい勢いでまとまりを見せる。それほどまでに、ラ・ヴァリエール家の影響力は大きい。 この場合、リシャールの裁判は可能な限り引き延ばされ、法廷に立たされてねちねちと嫌みを言われる可能性が高い。その間に義父を主軸として様々なやり取りと駆け引きが行われ、キリのいいところで判決が下されると見ていい。 なるべく早くどちらか見極めたいところだが、リシャールには多くの選択肢はなかった。 とにかく、自分から襤褸を出さないこと。 それだけは守らねばならない。 よしと気を入れたリシャールを乗せ、竜篭は王城の発着場へとゆっくり降りていった。 トリステイン王国子爵リシャール・ド・セルフィーユは、アルビオン行きより月をまたいで暦では第三月にあたるティールの月の初日、王城の一角、西の塔にある貴人用の牢に収監された。 ←PREV INDEX NEXT→ |