風が旅立った日のこと




「行ってしまわれたか」
「ええ」
「午後の早いうちにはお帰りになられるでしょう」
 泉へと旅立つコール・テンペストの巫女達を見送ったアルクス・プリーマの甲板には、既に性別を済ませた幾人かの大人達だけが取り残されていた。
 彼らと一緒に彼女達を見送った整備班やメッシスの面々は、既に散っていた。宮国最後の巫女達を見送るために、無理をして集まったものなのかも知れない。
 やがて。
 いつまでも空を眺めていてもしかたがないとでもいう風に、ほうっと大きく伸びをしたワウフは、アルクス・プリーマの二人を振り返って切り出した。
「さて……アヌビトゥフ、グラギエフ」
「はい?」
「ワウフ艦長?」
「珈琲でもいかがです?
 いや、なに、良い豆が手に入ったのでね」
 如何にもとってつけたようなワウフらしくない物言いに、アヌビトゥフとグラギエフは顔を見合わせた。
 偶然ではないだろう。
「ええ、是非」
「喜んで」
 二人の方にも、ワウフに通しておきたい話は確かにあった。

 アヌビトゥフとグラギエフの二人を伴ってメッシスに向かうワウフの口調は、さばさばとしたものだった。
 出撃がないのでヘリカル機関の整備に手が掛けられて良いだの、メッシスの倉庫は先日の空襲で被害を受けた街区での炊き出しで空になりかけているだの、他愛のない話ではあったが、二人には眩しく感じるほどの明るさだった。
「そうそう、グラギエフ」
「はい、ワウフ艦長」
「解散させられた巫女様の……ああ、アルクス・プリーマ所属の練習生が」
「ええ、それが……?」
 アルクス・プリーマは停戦の調印以降、見事なまでに骨抜きにされていた。船体には傷一つないが、乗組員は往事の四半分も残されていない。
 つい数日前までは、指を鳴らして当番の従卒に一言告げるだけで、艦長とデュクスの元に二杯の珈琲が焼き菓子付きで現れる程に行き届いた大所帯振りだったが、今は彼ら運行に直接関わらない部署も含め、ほとんどの一般乗組員は艦を降ろされていた。指示されて禁足されているアルクス・プリーマ首脳部やシムーンの専門家たるワポーリフを頂点とする整備員・機関員の他は、運営と保守にも困る程度の人員しか残されていない。
 特に、グラギエフがまとめていた巫女関連の部署は、徹底的に解体されて空き部屋の他は跡形もない。条約調印を盾にとった司兵院の差し金もあって、性別以前の年齢でも、比較的年かさの者は既に泉へと送られていた。グラギエフが口をはさむ隙さえもない宮守も含めた巫女勢力の大々的な排除には、以前からの計画があったのだろう。宮守はこの際どうでもいいが、巫女や練習生達には詫びのしようもない。
「実は二人ほどお預かりしているのだが、正規の手続きをちょっとばかり飛ばしていましてな……」
「で、その二人とは?」
「シヴュラ・アウレア付の見習いだった、キサラとマリーンのお二人です」
「あの二人が……」
 そうか、とグラギエフは頷いた。
「申し訳ないと思いつつ、今は炊き出しの手伝いに回って貰っております」
「そうですか、ありがとうございます、艦長」
 あの二人も名家の出のはずだが、大丈夫だろうか。いや、大丈夫だろう。
 ワウフならば、手抜かりはあるまい。一時はコール・テンペストの乗艦となったメッシスでもある。シヴュラ達の瞳には厳しくも暖かな父親のように映るのだろうか。コール・テンペストの巫女は、高い代償を払いつつも一段大人びてアルクス・プリーマへと帰ってきた。キサラとマリーンにも、良き結果が訪れるだろう。
「二人の異動の書類は、すぐにでも用意します」
「申し訳ない」
 そんなグラギエフの横顔を見て、アヌビトゥフは静かに微笑んだ。

 メッシスは、アルクス・プリーマに寄り添うように大聖廟の船着き場、その左手に係留されていた。搭乗口に礁国の兵士が配置されているが、士気はそれほど高くないようだ。
 アルクス・プリーマを降りた時同様、言葉の通じない歩哨に銃口を向けられたまま、アルクス・プリーマとメッシスを交互に指さし、身振りで移乗を伝える。若い割に皺の多い顔つきの兵士は、顎を一つしゃくると銃口を下げた。それに軽く手を挙げて謝意を示し、艦内に入る。
「やれやれですな」
 艦内に入って兵士が見えなくなった後、顔に不本意という彫り物を張り付けたワウフが二人を振り返る。
「ええ、まったく」
「アルクス・プリーマも酷いものですよ」
「でしょうなあ。我がメッシスは艦内にまで哨兵はおりませんから」
 そこまで言って、ワウフは姿勢と口調を改めた。
「本来ならば、お二人には艦長室にご招待申し上げるべきなのでしょうが、四人も入れば座る場所にも事欠きます。申し訳ないが、食堂の方に御席を用意させていただくことにしました」
「はぁ、それは構いませんが……四人?」
 アルクス・プリーマに比べれば狭い艦内のこと、食堂まではすぐだった。
「ええ、もう一人……というか逢ってもらった方が早い。
 さあ、こちらへ」

 食堂では、一人の元シヴュラが三人を待っていた。
「シヴュラ・アイ……」
「お久しぶりです、アヌビトゥフ艦長、デュクス・グラギエフ」
 そうだった。
 元コール・ルボル所属のシヴュラ、アイ。
 グラギエフは、彼女がシヴュラ・ヴューラと共にメッシスへと転属したまま、異動も解任もされていない事に思い至った。
 今の彼女は巫女の平装ではなく、真新しい、女性士官用の制服を着込んでいる。
「ええ、お久しぶりです。お変わりはありませんか?」
「はい。……泉へ行った以外は何も」
「そう……ですか」
 流石に見逃されはしなかったか。一縷の望みを見出す隙さえなかったようだ。
「それで、あのレギーナ……じゃない、シヴュラ・ヴューラは……」
「先程、他の皆さんと一緒に泉へと向かわれました。今頃は、ヘリカル列車に乗り込まれた頃かと」
 話をアイに任せたワウフはアヌビトゥフ達に軽く手を挙げ、厨房に引っ込んでしまった。今は豆を挽く音が微かに聞こえている。
「あなた達には損な役回りばかり、引き受けさせてしまいましたね。空中補給基地偵察の件からこちら、名ばかりのデュクスで申し訳ない」
「いえ、それはデュクスの気になさることでは……。
 ルボルの解散は残念でしたけれど、その先は私自身が選んだことですし、その選択に後悔はありません。
 ただ……」
「はい?」
「それ以外の後悔は……山ほどありますけど……」
「シヴュラ・アイ?」
 儚げな笑顔でグラギエフを見上げていたアイは、やがて俯いて肩を震わせた。
「やれることはいっぱいあったはずなのに……」
「はい」
「最後の防空戦では、出撃さえ出来なかった……。
 複座のシミレしか残っていないとか、パルがいないとか、そんな理由に甘えて、……指をくわえて見ているしかなかったんです」
「それは……」
 言いかけたグラギエフを、アヌビトゥフが制し、黙って首を横に振った。
 それを受け止めるのもデュクスの、いや大人の務めだと言うのか。グラギエフは吸い込んでいた息を大きく吐いて、アイの言葉を待った。
「……」
「……ラ……ーナが……」
「……え!?」
「シヴュラ・マミーナの身体が……医務室につく前に冷たくなっていったのも……」
 シヴュラ・マミーナ。
 その死さえもが政治に振り回された、哀しみの巫女。
 アヌビトゥフはともかく、デュクスであるグラギエフにしてもシヴュラ・マミーナと顔を合わせていたのは、彼女がコール・テンペストに配属されてからメッシスに移るまでの短い期間だけであった。だが、彼女の、全てに挑むような勝ち気な瞳はよく憶えている。
 グラギエフは知らず、拳を握りしめた。
 横にいたアヌビトゥフも、苦い顔になる。
 司兵院を交えたグラギエフとのやりとりが脳裏をよぎったのだ。
 シヴュラ・マミーナの棺を運んでいたシミレが行方不明になったとの報を、司兵院より知らされた時のこと。……未だ彼らはコール・テンペストの巫女達にその顛末を告げてはいない。
 告げられるはずもなかった。
 今はまだ早すぎる。
「まあ、それくらいに」
 四つの茶杯を盆にのせたワウフが、場違いなほどに落ち着いた声を三人にかぶせた。

 静かに涙を落とし続けるアイを座らせ、アヌビトゥフとグラギエフにも席を勧めたワウフは、自ら茶杯を配った。
「なあ、アイ」
「はい……」
 グラギエフは、シヴュラの尊称を冠さずアイに語りかけるワウフを見ながら、数刻後にはコール・テンペストの「元」シヴュラ達と相対することを憂いだ。自分はあの寂寥感にどうやって耐え、忘れていったろうか。きちんと手を差しのべられるだろうか。
 ふとアヌビトゥフの方を見やれば、彼は目を閉じて茶杯に口を付けている。ワウフに任せるとの意志表示だろう。
 少しの沈黙を置いて、ワフフは再び口を開いた。
「さっきの、な……あれは、私が背負うべきものだから」
「ワウフ艦長……」
「そりゃあ、同じシヴュラとして、その場に居た者として、仲間として、悼む心持ちは当然だし大事なことだとも思うぞ。
 だがな、メッシスが間に合わなかったのも、シヴュラ・マミーナをお救いすることが出来なかったのも、……いや、シヴュラ・マミーナだけじゃない、シヴュラ・ドミヌーラとシヴュラ・リモネも、メッシスで逝った他の乗組員達も……それは私が背負うべきものだから、気に病むことはない」
「でも、艦長……」
 うむ、とワウフは頷いた。口調はゆったりしているが、顔つきは真剣そのものである。
「そう、正に艦長。そして私は正規の軍人でもある。
 あの場でシヴュラの皆様をお預かりしていた前線指揮官にして、このメッシスの艦長たる私の責任であり、義務であり、……そして権利でもある」
 ワウフは軽く、アイの頭に手を置く。
「だから、もう、そのことは任せなさい」
 忘れなさい、と言わないあたりは流石だなとアヌビトゥフは思った。無論、口には出さない。
「……はい」
 小さい声ではあったが、アイは確かに頷いた。

 ひとしきりアイが落ち着くまで待ってから、ワウフは再び切り出した。
「アイ、済まないが、西街区の炊き出し場になってる公園に行って、キサラとマリーンの二人を呼んできてくれないか」
「はい、わかりました」
「ああ、デュクスが居られることは告げちゃあいかんぞ。あの二人は顔に出過ぎる。いらん腹を探られたくはないからな」
「はい」
 アイは茶器を洗い場に下げて、三人に会釈してから食堂を出ていった。
 それを見送り、ワウフはアルクス・プリーマの二人に向き直った。本題に入ろうというのか。
「先程の……ああ、話の中にも少し出かけた、ですな……」
「はい」
 ワウフは未だ迷っているのか、頭を掻いて暫くは無言のまま茶杯を眺めていたが、ゆっくりと席を立った。それから調理場脇の棚から灰皿を取り出し、アヌビトゥフにも奨めた。
 アヌビトゥフは、軽い非難の色を浮かべたグラギエフの視線を受け流しつつワウフに黙礼し、懐から細巻を取り出して銜えた。まだ火はつけない。
「シヴュラ・ドミヌーラとシヴュラ・リモネの件に関してですが……少し調べさせて貰いました」
 自分も紙巻を銜えたワウフは、恐ろしく複雑な顔をしていた。アヌビトゥフとグラギエフも似たようなものだったろう。
「以前にも私は、お二人は恐らく生きておられるのではないか、という仮説をお話ししましたね」
「ええ」
「今は間違いなく、生きておられると思っております。
 お二人がメッシスを救うために祈られた伝説のリ・マージョンが、隠されていた伝説のままであれば……違いますかな?」
 伝説のリ・マージョン。
 『翠玉』の名を持つそのリ・マージョンは、確かに存在する。
 成功させたシヴュラたちはテンプスパティウムの側に仕えたと伝えられている、最高の技量と精神を要求されるリ・マージョン。
 一コール六機の全てをもって行う鉄のリ・マージョンを軽く凌駕する圧倒的な破壊力を持ち、祈りに失敗するとシムーンでさえも逃れられない効果範囲を持つと言う。
 数次に渡る戦役もあって破壊力ばかりが語られがちだったが、それが単なる副産物に過ぎなかったことを、ワウフはコール・デクストラやシヴュラ・ドミヌーラを結ぶ線、そして軍上層部と宮守勢力の対立を利用して調べ上げた。アヌビトゥフもグラギエフも宮守から知らされた。
 本来の意味に於いての翠玉のリ・マージョンは、今と今ではない時間を、こことここではない空間を繋ぐものであると。
 つまり、残骸であれ無傷であれ、シムーンがその場に残ることは実際には失敗なのだ。
 もう少し早く真実にたどり着いていればと思わないではないが、それは詮無きこと。
 だが、今は……。
 アヌビトゥフの目配せに、グラギエフは頷いた。
「ワウフ艦長、実は我々も、今は同じ結論に達しています」
「そして……」
 アヌビトゥフは一旦言葉を切った。
「いまや宮国に残された巫女は、お二人だけです」
「シヴュラ・アウレアと、シヴュラ・アーエル、ですな」
「はい」
「今はまだ、泉には行きたくないとだけ仰られています」
「ただ我々は、お二人が望むようにしたい、とだけ考えています」
 そう、二人の巫女だけは、未だ泉へと旅だってはいない。
 しばしの沈黙を置いて、アヌビトゥフが再び口を開く。
「そのことについて、ワウフ艦長には出来る限りの助力をお願いしたい」
「もちろん、喜んでお引き受けしますぞ」
 ワウフは即答した。

「問題はシムーンだ、そうでしょう?」
「ええ、全くもって」
 二本目の細巻に火をつけたアヌビトゥフは、ワウフに相づちを打った。
 残された五機のシムーンはアルクス・プリーマの艦内にあるとは言え、礁国の駐留部隊によって厳重に監視されている。近づくことさえままならなかった。
 シミレならば、目的を欺瞞しつつ準備をすれば動かすことも出来ようが、リ・マージョンも行えず、速度も劣る非力なシミレでは、礁国機はともかく嶺国の巫女が操るシムーンからは逃れられまい。
 メッシスやアルクス・プリーマは長期の逃走や組織的抵抗力が期待できる点では有利だが、準備にかかる根回しと補給や人員の問題もあって論外だった。
「……アヌビトゥフ、アルクス・プリーマとシムーンが戦時賠償としてここを出立するのはいつです?」
「それは艦長である私にも知らされていません。状況から見て、今月の末か、遅くとも来月の頭だとは思いますが……」
「では、それまでに何とか都合をつけませんとな。……ワポーリフあたりも巻き込むべきでしょう」
「はい」
「グラギエフ、お二人の巫女の方は?」
「上層部からは矢のような催促をされていますが、今の様子だと数日は稼げると思います」
「出来るだけ伸ばして下さい、としか言えませんな。
 ……心苦しいが」
「それはもう」
「ええ、頼みます」
 グラギエフに頷いてみせたワウフは、紫煙を横に吐いて天井を見上げた。
「シヴュラ・アウレアと言えば……副院主様からですな」
 言うまでもなく、シヴュラ・アウレアの父上に当たる人である。
 現役時代には辣腕で知られていたハルコンフは、先頃体調を理由に引退した。しかしながら、往事程ではないものの未だ隠然たる影響力を持つあたりは流石である。
「引き続きメッシスを預かるようにと……。
 書類上は数機のシミレともども、既に私の私物なのだそうです。無論、そんなものを持っていた覚えはありません。
 だが私は、メッシス乗組員も含めて一切をお引き受けすることにしました。
 ……おそらくは、組織として宮国の色を濃く残した部分を未来に残せ、ということでしょう」
 ハルコンフの大胆さには、アヌビトゥフとグラギエフも驚かされた。間違っても私利ではないが、まがりなりにも国有の資産である。
「しかし、……いや、ということは……」
「ええ、お考えの通りです。
 ……副院主様の言葉をお借りするならば、分割統治を経た宮国は、恐らく最長でも十数年以内には両国に併呑されるだろう、と」
「では……何としてでもシヴュラ・アウレアとシヴュラ・アーエルのお二人だけは!」
 グラギエフは声を荒げた。感情が高ぶったらしい。

「勿論だ」「勿論です」

 二人の艦長は、それぞれに力強く請け負った。

 その後、幾つかの懸案を俎上にあげていった三人だったが、アイがキサラとマリーンの二人を連れて戻ったところで密談はお開きになった。
 ワウフは新しく来た二人にも茶杯を振る舞い、しばしの雑談に興じる。
 幼鳥にも似た二人の元練習生は、三人の大人には眩しすぎた。

 しばらくして。
 メッシスを辞するアルクス・プリーマの二人に同道したワウフは、別れ際に尋ねた。
「この後……いや、この『騒ぎ』が一段落した後、お二人はどうされるおつもりです?」
「いや、それが……」
「実は何も考えていません」
 言いかけたグラギエフを、アヌビトゥフが遮った。
「野に下ったあと、しばらくはゆっくりと……そうですね、風でも追いかけてみようかと思います」
 それだけで伝わったらしい。
 それがよろしいでしょうと、ワウフは笑顔で締めくくった。

 風。
 古い言葉ではウェントスとも。
 それは、シヴュラ・アウレア・ネヴィリルとシヴュラ・アーエルの乗機であるシムーンに冠された名でもあった。

 二人を見送り、更なる考え事を重ねながら食堂に戻ったワウフは、厨房で洗い物をするアイの傍らに立った。
 キサラとマリーンは、もう炊き出しの手伝いに戻ったらしく、今は食堂にはいない。
「……なあ、アイ」
「はい、なんでしょう?」
「今日からちょっとの間、忙しくなるからな。それが終わったら……」
 ワウフは口ごもった。
 それが終わったら、何だというのだ。
 これから為さねばならない手配りは、山ほどある。
「艦長?」
「……いや、何でもない。
 テンプスパティウムの御加護が、いつもより多めに欲しくなっただけだ」
 それを聞いたアイは、無邪気に微笑んだ。涙はもう、どこかへと消え去ったらしい。
「じゃあ、私の分も使って下さい。
 これでもついこの間までは巫女だったんですから、御利益ありますよ」
「うん、遠慮なく使わせて貰おう」
 元シヴュラに微笑みかけられたワウフは、何となくではあるが全てが上手く行きそうな気がした。無論、根拠はない。
 そして、厨房の小窓からは、涼しげな風。
 今日は一日、いい天気に恵まれそうだ。

 だが、思い返せば。
 その日は、後々までも忘れられない一日となった。

(了)



附記・雑記

<物語の背景>
 第24話「選択」終盤、泉に行くテンペストの面々を見送ったあたりから、第25話 「パル」承前にかけての僅かな時間の物語。
 場所は西北大聖廟船の着き場、およびそこに係留されているアルクス・プリーマとメッシス。
 シムーン本編でアーエル達が翠玉のリ・マージョンを行った日でもある。
 物語の中では聖廟でのグラギエフと嶺国巫女との密談以外はほぼ語られなかったが、アヌビトゥフ・グラギエフ・ワウフが、他に裏で何もしていないはずはないだろう、いや、絶対に何かやってる、という思いこみから筆を進める。
 無力感。戦術面の勝利は重ねてきたものの、戦略的には敗北した宮国。その残滓たる軍人達のささやかな抵抗。そして希望。実際に行われることのなかった計画、その密談。
 邦画「日本のいちばん長い日」の影響大。……どうしても重ねてしまう。

<アヌビトゥフ達の思惑と事情>
 この項目は特に、想像に想像を重ねた曖昧なものであることを断っておきたい。整合性はそれなりにあると自負するが、絶対ではない。
 第25話「パル」で、グラギエフと嶺国巫女との密談が行われていた時点では、それほど性急に事が運ばれるとは思っていなかったのだろう。朝なども、送り出される巫女の声を聞きながら珈琲を楽しんでいる。
 正攻法か搦め手かは不明だが、アーエル・ネヴィリルの意に添う形で、数日以内に事を起こすつもりではいたと思われる。
 また、会話はないものの、ワウフとハルコンフが外で昼下がりの風に当たっている。ここでもそれなりの密談はあったのかもしれない。
 ただし、その日の午後にはアヌビトゥフ、グラギエフ、そして肝心のネヴィリルとアーエルも含めコール・テンペストの元巫女までもが軟禁されてしまったことで、全ての予定は狂ってしまった。
 そして軟禁後に自由に動けたのはワウフ、ワポーリフ、そして嶺国の巫女達だけである。嶺国巫女との密談時にグラギエフが万が一の場合の備えとしてワウフの名を出していれば、嶺国巫女がワウフと示し合わせてワポーリフを引き込むことは造作もない。
 その上でワポ−リフと嶺国巫女は動いたのではないだろうか。嶺国巫女達は、案外堂々とアヌグラとの連絡役を引き受けたような気もしないではない。第19話「シヴュラ」のマミーナの一件でも描写されているように、例え命を賭してでも宮国の巫女を助力することは、アニムスの巫女として当然の行動であるのだろう。
 そして舞台はマージュ・プールへと移り、アーエルとネヴィリルは旅立った。
 
<シヴュラ・アイ>
 将来、わっふんの嫁さんになる人。ヴューラの元パルのようでもある。ヴューラがテンペストに異動した後の描写がないことと、将来の嫁という二点からメッシスにそのまま居てもらうことにした。

<練習生キサラ・練習生マリーン>
 シヴュラ・アウレア付きの見習い。第22話「出撃」Bパートでの炊き出しの手伝いから、アルクス・プリーマの解散後にメッシスに拾われたと仮定。その後も、第26話 「彼女達の肖像」にてパラ様の孤児院で働いているところから、ボランティア精神に目覚めたのかもしれない。

<敬語と立場、階級>
 艦長と部下、巫女と一般市民などの分かり易い場合はともかく、他の場合は本編より類推するしかない。
 アヌビトゥフはワウフよりも大型の艦の艦長であるが、ワウフに対しては常に礼節を守っている。
 ワウフは巫女に対してもくだけた口調で話しかけたりする反面、アヌビトゥフに対しては主に敬語である。だが、第22話「出撃」Bパートの会話では、年長者としての面が強調されいる。
 グラギエフはアヌビトゥフに対しては公私を使い分け、ワウフとは、本編では直接の会話は少ないがお互いに一歩引いている。
 司兵院、宮守、副院主などは制度・慣習上は巫女の下に位置すると見てよいだろうが、実際の扱いはそのへんの小娘か盤上遊技の駒同然である。名家=支配階級=元巫女。彼らは巫女の現実と扱い方を肌で知っているのだろう。
 
<アヌビトゥフ「風でも追いかけてみようかと思います」>
 数年後もメッシスと共にあるワウフに対して、アヌビトゥフとグラギエフは「いい風だ」「ええ、いい風です」。
 風は何者にも縛られない自由の象徴でもあるが、アーエルとネヴィリルの乗機の名(ウェントス「風」の意)でもある。
 この二人は大空陸世界の各地を放浪する一方で、反逆の芽を育てながら、翠玉で旅立ったアーエルやネヴィリルが未来へと残した痕跡を丹念に探し歩いているのかも知れない。古い文献に残る朝凪のリ・マージョンのように、宮国と嶺国に同じ物が伝わっていることの真の意味に、気がついたのだろうか。