朝、ゲタ箱で会ったときにさっさと渡してしまえばよかったかもしれない。

 公園入り口にポツンと置いてあるベンチで、かじかみ始めた手を、朝から使っていたからもうほのかに温かいだけのカイロに当てながら、後悔する。
 そうすれば、ゲタ箱一杯のそれ≠抱えた明石さんに苦笑しながら、軽い感じで渡せたかもしれない。

 休み時間も渡せなかった。
 人前では渡したくなかった。
 今日特有の浮かれたムードの中で、東野くんを呼び出したりしたら。
 みんなに、後で何を聞かれるか、どうからかわれるか分かったものじゃない。
 音楽の授業で忘れ物を取りにきたら偶然とか、掃除当番でゴミ出しに行くときとか、日直で日誌を出しに行くとか、そんな運良く二人きりになるなんて幸運なシチュエーションは、教室を移動するような授業もなければ、掃除当番でもなく、日直でもない、というか隣の席でもない私には当然なかった。
 そう、隣の席だったら、皆に隠れてこっそり、なんてこともできたのかもしれない。席替えのとき、素直に東野くんの隣の席に交換しておけばよかった。明石さんが茶化したりするから――。
 東野くんも東野くんで、始終誰かと話してたり、外に飛び出していったりだったから、そんな機会もなかった。
 だから、休み時間に私は東野くんに声をかけられなかった。
 
 放課後なら、東野くんが一人きりになるだろう。
 結局渡せず、最後の休み時間を終えたときも、のん気にそう考えていた。
 でも、東野くんは帰りの会が終わった瞬間に校庭へ直行。他の男子と、サッカーなんて始めちゃって。
 しばらく待っていたのだけれど、サッカーは大盛り上がりで終わる様子は無いし、ずっと、校庭で待っているのも何となく癪だから、登下校には必ず通る公園で待ち伏せして渡せばいいか、と思い足早に下校した。
 男の子って、何であんな子供なんだろう?
 喜びの雄叫びをあげる東野くんを、そんな風に責めていたような気がする。

 カー、とカラスが鳴いた。
 どれぐらい時間が過ぎたんだろうか。そろそろ日も暮れはじめて、段々人通りも少なくなってきたけど、東野くんはまだ来ない。こんなことになるなら、校庭でサッカーが終わるのを待ってればよかったのかもしれない。
 かもしれない、かもしれないばっかり。後悔する時間がどんどん早くなっていく。
 いっそのこと、家に帰ってしまおうか?
 適当な時間に、東野くんの家に渡しにいけばいい。
 そこまで考えて、私は自分のことが情けなくなった。
 このまま帰ってしまえば、きっと渡さないまま終わってしまうに違いない。
 なんだかんだ理由をつけてはいるけど(そしてその理由も正しいとは思うのだけれど)、これ≠渡すのがこわいのかもしれない。
 何がどうなるのがこわいのか分からないど、一歩踏み出すのがこわいのかもしれない。
 男の子は――東野くんは子供だけど、私もまだ子供なんだな。
 待つことも、立ち去ることも、どちらもとても難しいことのように思えてきたその時だった。
 
「あれ? ちさとじゃん」

 聞き間違うわけの無い声、暗くなって顔は見えないけど見間違うわけのないシルエット。東野くんだった。
 同級生も誰も居ない、二人きりの公園。
 渡さない理由なんて、何一つとしてない。

「どうした?」

 こっちの気も知らずに呑気そうに、笑いながらそう聞いてきた。
 呆れた。
 見れば膝小僧を擦りむいている。

「そういえばさ、東野くん、今日、何日か知ってる?」
「……二月十四日、だろ?」
「……うん。だから、その、これ」

 鞄からそれ≠取り出す。
 赤色の包装紙でラッピングしたチョコレートと、短く一言だけ書いた手紙を差し出す。 
 東野くんは戸惑っているようでもあり、安心しているようでもあり、なにより喜んでいるようだった。
 
「俺に? これ?」

 受け取りながら、他に言う言葉が見つからなかったのか、こんなことを言い出した東野くんに、できるだけ冷たく、そっけなく、こう言ってやる。

「他に誰かいる?」
「……そっか」

 その後に、ありがとう、と小さな声で呟いたような気がする。
 
「お返し、しなきゃな」
「別にそんなつもりじゃ――」
「いいんだよ、俺がしたいんだから」

 顔を背けながら東野くんは言った。
 私は、ありがとう、とも言えず、泣き出してしまった。
 
 







 一ヶ月後。東野くんから貰ったクッキーには、短く一言だけ書いた手紙が添えられていた。
 書かれていた言葉は一言一句、私が書いた言葉と同じ言葉だった。
 その言葉は――