「戦争する国づくり」とたたかうために
憲法改悪、自衛隊、米軍基地
 
原水爆禁止2005年世界大会分科会G
問題提起 二見伸吾(広島県労学協事務局長)
はじめに
 ようこそ広島へいらっしゃいました。この分科会のテーマは「戦争する国づくりと憲法9条、基地、自衛隊」となっています。一つひとつが重要なテーマであり、短い報告時間では意を尽くすことができませんがお許しください。
 
1.日本国憲法のこころを読む
 
●平和をつくる新しい考え方
 
 あの戦争の惨禍のなかから、平和をつくるための新しい考え方が生みだされました。日本国憲法の前文と第9条です。
 
 とりわけ重要な点を2つだけあげます。第一は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(日本国憲法前文)ということです。
 
 少し難しいので、池田香代子さんの訳も紹介しましょう。
 
 「世界の、平和を愛する人びとは、公正で誠実だと信頼することにします。そして、そうすることにより、わたしたち安全と命をまもろうと決意しました」(池田香代子訳『やさしいことばで日本国憲法』マガジンハウス)
 
 疑ってかかるのではなく、信頼することから始める。しかも、国家や政府ではなく、「世界の平和を愛する人びと」を直接信頼することから始めるというのがすごい。
 
 ふつうの人びとは戦争を望んでいないということが平和をつくる出発点になっている。だから、その人たちへ働きかけることによって、平和をつくろうというのが前文の基本的な考え方なのです。
 
 第二は、第9条第2項です。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」というとてもシンプルな条文です。戦争をなくすためには、武器と交戦権(戦争をする権利)そのものを否定する。
 
 もう「果たし合い」はやめて「話し合い」によって紛争を解決しようという新しい考え方です。戦争はなにも生みださない。紛争を戦争にしない外交努力が大切だということですね。 
 
●国連憲章と日本国憲法の共通点
 
 日本国憲法と国連憲章には同じ精神が流れています。それは、武力による紛争解決を否定し、平和的手段による解決をめざしている、ということです。
 
 国連憲章第二条3項は「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」とあり、第4項では「すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」(傍点は引用者)と言っています。
 
 第33条では、「いかなる紛争でもその継続が国際の平和及び安全の維持を危くする虞のあるものについては、その当事者は、まず第一に、交渉、審査、仲介、調停、仲裁裁判、司法的解決、地域的機関又は地域的取極の利用その他の当事者が選ぶ平和的手段による解決を求めなければならない」と、「平和的手段による解決」を要請しているのです。
 
国連憲章と日本国憲法のちがい
 
 しかし、違いもあります。それは、日本国憲法はいっさいの例外なく武力行使を認めなかったのに対して、国連憲章は例外を認めてしまったことです。第42条で、非軍事的措置でだめなときは、軍事的措置をとってよいとし、51条で自衛権の行使も認めています。
 共通の精神にたちながらも、徹底した日本国憲法と不徹底な国連憲章の差はなにによるのでしょうか?
 
●ヒロシマ・ナガサキの経験が9条に
 
 国連憲章ができたのは1945年6月26日。日本国憲法ができたのは1946年11月3日。この間に何があったのか。それは1945年8月6日の広島への、そして9日の長崎への原爆投下です。ヒロシマ・ナガサキの経験。戦争が行きつく先を見てしまったこと。戦争の行きつく先がこういう惨状ならば、それは戦争そのものをなくす以外にないではないかと考えたのです。
 
 「日本国憲法の第9条は、広島・長崎以後の国際政治の新たな現実を示す最初の、そして最高の表現である……その時、核爆発の余韻はいまだ消え去らず、焼け焦げた肉体の臭気がまだ立ちこめていた。新たな時代の真の性格−−核戦争という途方もない不条理と、いっさいの軍事力が核戦争の防衛としてはまったく無価値であること−−が初めてその姿をみせたのが、まさにこの時であり、この場所であったのである」(ダグラス・ラミス『ラディカルな日本国憲法』晶文社)
 
 幣原喜重郎国務大臣が、憲法制定議会で行った次のような答弁は、その裏づけとなるでしょう。原爆という言葉は使っていないものの、明らかに広島・長崎への原爆投下を意識していることが分かります。
 
 「次回の世界戦争は一挙にして人類を木っ端微塵に粉砕するに至ることを予想せざるを得ない」「文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争が先ず文明を全滅することになるでありましょう」(貴族院本会議1946年8月27日。星野安三郎『平和に生きる権利』法律文化社、43ページ)。
 
 ヒロシマ・ナガサキの経験が平和憲法、そして第9条を生みだしたのです。
 
2.改憲と自衛隊・米軍基地再編
 
●改憲のねらいは、9条2項
 
 その日本国憲法がいま、まさに変えられようとしています。その最大のねらいは9条2項です。2005年8月1日、自民党は「新憲法第一次案」を発表しました。
 9条2項を削除し、1項も骨抜きにしたうえで「自衛軍を保持する」と明記しています。
 
 なぜ、2項を削るのか。それは自衛隊を合憲にするということにねらいがあるのではありません。自衛隊から自衛軍に昇格させ、2項を削除することによって、海外での武力行使ができるようにすることが目的なのです。「戦争をしない国」から「戦争をする国」への転換こそ、改憲の最大のねらいです。
 
●アメリカによる自衛隊の使い方の変化
 
 なぜ、憲法は変えられようとしているのでしょうか。日本に戦争をしないといけないような状況があるでしょうか。
 改憲の真の震源地はアメリカです。アメリカが改憲を求めているのです。
 アーミテージ米国務副長官は次のように言いました。
 「野球にたとえると、日本は観客席から降りてきて、ナインの一人として守備につかなければならない」
 要するに、アメリカと一緒に人殺しをしろということです。
 
 なぜ、こういうことが言われるようになったのか。その背景には、ソ連の崩壊があります。ソ連があった1991年までの自衛隊の主な役割は、日本にある米軍基地を守ることにありました(もちろん海外派兵も検討はされていましたが)。しかし、もうソ連はありません。自衛隊も米軍基地も用済みなのです。自衛隊を解散し、アメリカ軍もいなくなればいいのですが、彼らはそうしなかった。 
 唯一の大国になったアメリカが、もともとのねらいであった、アメリカ中心主義の世界をつくるために、日本の基地と自衛隊を「有効活用」することを当然のごとく選んだのです。自衛隊はもう国内ですることはない。アメリカにとって気にくわない国はぶっつぶすために「ポチよついてこい」というわけです。(松竹伸幸『9条が世界を変える』かもがわ出版)
 
 そして、自衛隊が海外で戦争する最大の障害が日本国憲法であった、ということなのです。だから、憲法を変えて、観客席から降りてこい、ということになる。
 
●在日米軍基地再編(自衛隊の再編を含む)
 
 米軍基地の再編(トランスフォーメーション)も、こういう改憲の動きと連動しています。というより、改憲が米軍基地の再編と連動している、という方が正確ですね。
 なぜ、アメリカは米軍基地を再編するのか。それは、単独行動主義と先制攻撃戦略によって、アメリカ中心主義の世界を維持していくためです。
 
 そのためにはつぎの3つの条件をクリアしなければなりません。
 第1は、世界中の米軍基地で事故、犯罪、騒音被害などの問題があり、これを放置しておくと、基地撤去を求める大運動が起きかねない。そうならないような手直しをし、基地問題の摩擦を減らすこと。
 
 第2はアメリカの財政事情です。膨大な財政赤字(2005年は3330億ドル)をかかえ、海外の軍事基地を維持できない状況にあります。
 
 第3は、できるだけ米兵を殺さないこと。「ベトナム・シンドローム」といって、アメリカはベトナム戦争で負けて以降、米国人の死と帰還兵士の後遺症にとても神経質になっています。反戦運動の火種になるからです。
 
 イラク戦争では、「軍事請負会社」を使ったりもしていますが、お金がかかります。だからこそ、日本の自衛隊の役割(アメリカ人に変わって死んでくれること)が期待されているわけです。
 (注)ベトナム戦争に負けたアメリカが導きだした重要な「教訓」の一つは、日本の軍事力の増強と日米共同作戦によって、自衛隊を深く米軍に結びつけることでした。そのことを方針化したのが、1978年の「日米防衛協力のための指針」(旧ガイドライン)です。 
 
 以上のようなハードルをクリアしつつ、先制攻撃態勢をととのえることが米軍再編のねらいです。
 ですから、米軍全体を先制攻撃用の「殴り込み部隊」に特化していく。
 そういうなかで、在日米軍基地の機能を高め、日本から世界へ出撃する態勢をつくることがねらわれています。
 まだ、その全体像は明らかになっていませんが、これまでに浮上している再編案はつぎのようなものです。
 
陸軍第一軍団(陸軍殴り込み部隊)→ワシントンから座間へ
横田基地の強化(米空軍第5司令部+グアムの第13空軍司令部+航空自衛隊航空総隊司令部+航空支援集団司令部)
沖縄の各海兵隊→辺野古沖への基地新設、キャンプ富士、矢臼別演習場へ
厚木基地の空母艦載機部隊→岩国基地へ
嘉手納基地にF15戦闘機部隊(航空自衛隊)+P3C哨戒機部隊(海上自衛隊)
 
 とりわけ陸軍第一軍団がワシントンから座間へ来る意味は大きい。この陸軍第一軍団は陸軍の殴り込み部隊です。横須賀にある空母第7艦隊は海軍の殴り込み部隊。沖縄と岩国にいる第3海兵隊も殴り込み部隊。太平洋軍の3つの殴り込み部隊がそろうのです。
 
 アメリカは軍隊を「殴り込み部隊」に特化しつつ、それを日本へ配備する。基地を日本国内でたらい回ししながら、強化していこうというのです。
 
 これは、日本の「思いやり予算」がおおいに関係があります。日米安保条約上も地位協定上も支払う必要のないお金で、だから金丸信防衛庁長官が「思いやりの立場で…」と言ったところからその名がつきました。2005年は約2500億円で、米軍の駐留経費をささえています。
 
 米国防総省の報告書によると、それ以外の間接的な支援も含めると駐留経費の75%、46億ドルを負担しているのです。
 ですから、米軍は、自国に軍隊を置くよりも、日本に置くほうが安上がりになるのです。
 
●基地反対闘争の新しい段階へ
 
 すでに全国各地で、基地の移設、強化反対のたたかいが起きています。
 
 岩国基地問題でも、周辺自治体の首長が反対を表明しています。座間などもそうですが、どこでも町ぐるみ、立場を超えた共同が広がっています。
 
 1950年代、石川県内灘、群馬県の浅間山、妙義山、千葉県の九十九里、そして東京の砂川(立川基地)など全国各地で基地反対闘争が起きました。これら基地反対闘争の経験を通じて、人びとは安保条約とはなにかを知り、それがあの歴史的といわれる安保闘争へ結実したのです。
 
 いままた、基地反対闘争は新たな画期を迎えようとしています。「なんのための基地なのか」「なぜ、いま基地を拡大強化する必要があるのか」、基地の再編強化のねらい、異常さを一人でも多くの人が知ること。そこに基地撤去の展望があります。
 
●根底にある「安保条約」が諸悪の根源
 
 そして、そもそもなぜ、日本にアメリカの基地がありつづけているのか。「戦争に負けたからしかたがない」なんて言う人がいますが、そんなことはありません。国が独立し、占領が終われば、軍隊はでていくのが当然です。
 
 「サンフランシスコ平和条約」にもちゃんとこう書いてある。
 「第六条(a) 連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後90日以内に、日本国から撤退しなければならない」
 こういう規定のない戦争終結条約(=平和条約)はありえないのです
 
しかし、アメリカは居座り続けた。それはあとに次のような但し書きをつけることによって可能になりました。
 「但し、この規定は、一または二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基づく、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐屯(ちゅうとん)または駐留を妨げるものではない」
 
 そして、サンフランシスコ平和条約と一緒に日米安保条約を結び、米軍基地の存続を許したのです。しかし、安保条約を締結することを知っていた日本人は、吉田茂ほか数人です。日本国民にはまったく知らされなかったのです。安保条約こそアメリカに押しつけられたものなのです(畑田重夫『PKO法と安保』学習の友社、120ページ)
 
 安保条約は1960年に改定され、アメリカのために日本の国土を基地にさせ、日本人をさまざまなかたちでアメリカのする戦争に協力させてきました。そしていま、いよいよ自衛隊が軍隊として、アメリカ軍と一緒に戦争する状況がうまれようとしているのです。
 素晴らしい日本国憲法が無視され、安保条約が事実上の「最高法規」になっています。安保条約は日本国憲法にささったトゲなのです。日本国憲法を守り、日本国憲法を真の「最高法規」にするためには、安保条約をなくすことが不可欠です。
 
 1960年に改訂された安保条約には一つだけいい条文があります。第10条です。第10条第2項は次のように書かれています。
 「この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意志を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行われた後一年で終了する」
 
 もうとっくに10年は過ぎています。今はいつでもやめられるのです。
 終了を通告しさえすればいい。そのあと相談も何もいらない。無条件で一年以内にアメリカは出て行かないといけないのです。
 
 10年目が迫った1960年代後半、青年たちがつくったスローガンは、「スカッとさわやか安保廃棄」。安保をなくせば、基地のない、日本国憲法どおりの日本がつくれます。
 
●核兵器のない世界をつくるために
 
 広島、長崎の経験が日本国憲法前文と第9条を生みだしました。だからこそ、核兵器廃絶は、日本国憲法の示した道によってこそ実現できます。
 
 それは、戦争する権利を放棄し、あらゆる武器をもたないということを、日本が率先して実践することです。
 日本が変われば、世界を変えることができます。アメリカは日本の協力がなければ、いまの軍事態勢も経済的な支配も不可能です。イラク戦争の継続も不可能です。日本が変わればアメリカも変わらざるをえない。
 
 そして、日本が日本国憲法を正面から実践する政治に変われば、どうなるでしょうか。
 世界の平和を愛する人びと、とりわけアジアの人びとを信頼し、専制と隷属、圧迫と不寛容をなくし、自由で豊かで平和な社会をつくるために、私たちが全力をあげる。農業、工業技術、医療、教育、日本の援助を世界は待っています。
 
 丸ごしで、相手の国の立場に立った援助、協力、交流をおおいにすすめる。そのとき、日本を攻めようという国があるでしょうか。私は「ない」と断言できます。 これが日本国憲法が戦争の中からつかみだした、最高の英知なのです。武器に依存する国は武器によって敗北する。
 
 ならば、丸腰こそ最強だ、ということです。日本国憲法を知り、被爆の実相を知り、安保を知る。それがスタートです。それぞれの地に帰って運動を大きくして、また来年、お会いしましょう。(本稿は、2005年8月5日、原水禁世界大会の分科会で行った助言者としての問題提起をもとに、時間の都合で話せなかったことを大幅に加筆したものです)
 
 
自分の中に新しい風が吹いた
東葛病院 前田梨絵
 
 原水爆禁止世界大会の第5分科会に参加し、一緒に写真を撮らせていただき本にメッセージもいただいた前田梨絵といいます。千葉から参加し、民医連の病院で看護師をしています。あの分科会に参加して、自分の中に新しい風が吹きました。以前、沖縄で米軍基地の見学をしたりガマに入り、沖縄で起こったことを少し学びました。
 そのとき「沖縄から米軍基地がなくなるのを見届けたい」と思いました。「なくそう」ではなくて…。そのためにはどうしたらいいか、悩んでました。あの分科会で二見さんの、米軍駐留費の負担のこと、思いやり予算をなくせばアメリカだって日本に米軍基地を置くのを考え直すと聞いて「そうか!」と思いました。今までとは違った角度で新たな学びができました。
 憲法9条は広島・長崎の経験から生まれたということ。いろんな地域での9条を守る草の根のとりくみや、米軍基地を抱える地域の問題たくさん学びました。この学びを行動につなげようと思います。早速、病院で原水禁の報告集会があるのでしっかり伝えようと思います。
 ありがとうございました。
 二見さんの本を読んでいて、三上満先生をご存知だと思いました。私の看護学校の校長先生なんです。 (分科会に参加された前田梨絵さんから届いたメールです)