ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
挿話その十七「駆け引き」




 王家の二人に付き従いながら、マザリーニはその頭脳を様々に巡らせ、現状の把握に務めていた。ともかくも貴族院を説得し、三名の逮捕請求とアルビオンへの抗議、これらの撤回を認めさせなくてはならない。襲撃事件そのものをなかったことにしてしまうことが、解決への早道であった。
「アンリエッタ、先ほどはどんなお話をしていたのかしら?」
「わたくしがアルビオンへ行っていないことにするにはどうしたらいいのか、話し合っていました。
 お母様がリシャールに送られた手紙を根拠として、『何もなかった』ことにするのが一番無難と……」
「そうね。
 でも、行ったことにしてしまってもいいのよ。その上で『何もなかった』ことに出来ればよいのでしょう?」
「マリアンヌ様!?」
「お母様!?」
 うふふと振り返って、マリアンヌは娘を抱きしめた。そのまま宰相に視線を向ける。
「宰相、貴方には……いいえ、誰にも言っていなかったかしらね。
 どうしてアンリエッタが、アルビオンへと出向く必要があったのか。
 ……アンリエッタ、まだ誰にも言っていないわよね?」
「もちろんです、お母様」
 丁度たどり着いた貴族院大議場の前では、王宮魔法衛士隊のワルド子爵とド・ゼッサール卿、二人の隊長が直立不動で王家の二人を出迎えていた。

「さて、急に集まって貰ってごめんなさいね。
 大事なお話とお願いが幾つかありますのよ」
 挨拶と開会の宣言、始祖への宣誓を終えた議員達を前に、アンリエッタとマザリーニを両隣に、更に背後をワルド子爵とド・ゼッサール卿で固めたマリアンヌは、婉然と微笑んだ。
 この状況では、居並ぶ貴族院の議員達は頷くしかない。
「まず一つ目は……みなさま、ご存じかしら?
 アンリエッタがお忍びでアルビオンへと向かったのだけれど、少し騒ぎになってしまいましたの」
 この場のまとめ役としてだけでなく、トリステインの法衣貴族全ての中でも筆頭に近い立場にある議長のリュゼ公爵が発言を求めた。
「おお、王后陛下! もちろん存じていますとも!
 我らもただ座しておったわけではありませぬ。
 責任を負うべき無能者どもは既に捕らえておりますし、アルビオンへの抗議は……そこな宰相殿と外務卿が反対しておられますが、これを放置するなど我が国が舐められる原因となりましょう!」
「王権を傷つける者に甘い顔は出来ませぬ。
 国王陛下御不在の今こそ、我ら貴族に自浄作用が必要であると私どもは考えております」
「……それがね、リュゼ公爵、ヴェルソワ伯爵。
 申し訳ないけれど、あまり騒ぎ立てられるとアンリエッタが困るのよ。
 お忍びで渡って向こうでは偽名を名乗らせてさえいたのですから、今になって実はアンリエッタでしたなどと言うわけにはいきませんの。
 事前にジェームズ陛下にお伺いを立てて了承を頂戴していたのよ、あちらの顔を潰してしまうことになるわ」
 何を言い出されるのかと、マザリーニは喉まで出かかった声をすんでの所で押さえた。
「……しかしながら、姫殿下の御身こそ無事であったものの、襲われるに至ったのも事実。
 セルフィーユ子爵など、姫殿下の座乗したるフネで白兵戦まで行ったそうですぞ?
 これを何の咎めもなく許せと、王后陛下は仰いますのか!?」
「あら、ではセルフィーユ子爵にはアンリエッタを守り通したことを賞して何かご褒美をあげないといけませんわね。
 それとも……そうね、アンリエッタを送り出したのはわたくしですから、同じようにわたくしも危険な目に遭わせた責任を問われて逮捕されるのかしら?」
「王后陛下、お戯れを申されますな!
 そのようなこと出来るはずもございません!
 この三人とは……」
「リュゼ公爵、少し落ち着かれよ。
 マリアンヌ様は騒ぎを起こすなと仰っておられるが、反論は理由をお聞きしてからでもよろしいのではないか?」
 横に座った副議長からの提案に、リュゼ公爵は渋々頷いた。
「あー……いかな理由でありましょうや、王后陛下?」
「アンリエッタを正式に立太子するためですのよ。
 今もアンリエッタは第一位の王位継承権を持ちますわね。
 でも、それだといつまで経っても娘気分が抜けないでしょう?
 アンリエッタには立派な女王様になって貰わなくてはならないの。
 戴冠式はまだまだ先でも、少しでも今のうちからお仕事に触れておくことは必要だわ。
 王様なんて、いきなりで出来るはずありませんもの」
 そのような大事を、今ここで聞かされるとは!
 マザリーニの手は知らず聖印を描いており、議員の大半は目を白黒させていた。
 だが宰相も貴族院議員も、意見を述べることは出来たとて、王家の跡継ぎを王家が決めることには本来口を挟むべき立場にはない。この場での立太子の発表も、トリステイン貴族百官の代表たる貴族院の議員を集めてのことであり、むしろ筋は通っている。ただ、普通は多少なりとも根回しはするものであり、宰相さえも知らなかったのかとそのことに驚いている貴族もいたほどだ。
 もっとも、世に知られた先王の実子はアンリエッタ一人であり、妾腹の王子王女は現在に至るまで確認されていない。よって余程のことがない限り、トリステインの王位をアンリエッタが継ぐのは既定の路線でもあったから、人選そのものに異を唱える者はいなかった。
「アルビオンのジェームズ陛下には伯父としてこの娘の後見と、立太子の儀式のうち、国王が直接行うとされる幾つかの式次第について亡き陛下の代理をお願いしましたの。
 まさかそんな大事なこと、お手紙で済ませるわけにもいかないでしょう?
 だからお勉強を兼ねて本人を向かわせたのだけれど……ここまではよろしいかしら?」
 渋々ながらの者も含め、居合わせた人間の大半が頷くのを待って、マリアンヌは話を続けた。
「ですからね、今騒いでもらうと、わたくしもアンリエッタも困ってしまいますのよ。
 特にアルビオンの方々のご機嫌を損ねるのはよくないわ。
 それに、さきほどちらりとラ・ヴァリエール公爵にお会いしたけれど……これは宰相の方がよくご存じかしら?」
「公爵も怒り心頭であられましたな。
 何故に、『女官』を預かっただけの義息が逮捕されねばならぬのかと、激しておられました」
 マザリーニは内心の葛藤を表に出さず、それだけを口にした。議員達に動揺が走る。匙を投げたわけではない。ここはマリアンヌに任せる方が、余計な角も立たずに済む可能性が高いと踏んでのことだ。
「そうでしたわね。
 わたくし、セルフィーユ子爵へのお手紙にもアンリエッタのことを『アン・ド・カペー』と偽名で記して、くれぐれも宮廷女官として扱うように書きましたもの。
 騒がれても気取られても困るから、警備も最小限にするようにとラ・ポルトを通してほんの僅かな人にだけ、お手紙で遠回しにお知らせしたのだけれど……。
 まさか空賊に襲われるなんて思わなかったわ。
 ……宰相、丸くおさめる良いお知恵はないかしら?」
「ここまでの騒ぎにならねば内密かつ穏便に済ませることも出来ましたのですが、さて……」
 この時点で、貴族院議員の一部が望んだセルフィーユ子爵ら三人の逮捕と処罰、それによって空いた領地や役職の取得は不可能になったものとマザリーニのみならず当の本人達も理解した。

 貴族院側、特にリュゼ公爵らはアンリエッタが襲撃された事実をセルフィーユ子爵らの失点として盾に取り、それを根拠として強引に事を進めようと画策していた。
 セルフィーユ子爵の後ろ盾であるラ・ヴァリエール公爵とその一党だけが相手ならばこの方策でも十分だったし、クーテロ男爵やシャティヨン提督にはそこまでの影響力はない。また、ラ・ヴァリエール公爵が義理の息子を庇おうとしても、王女を危険にさらした罪とは単なる権力で帳消しに出来るほど甘いものではなく、公爵が余程上手く事を運んでも罪一等を減じて爵位剥奪の上助命、少なくとも領地の返上ぐらいは為されたはずだった。
 しかしながら、王権は貴族院の持ち物ではない。マリアンヌの登場と立太子の発表が、彼らの策を台無しにしてしまっていた。彼女の意向を無視して事を進めるには王家の影響力を無視できるだけの事実や状況が必要であったが、そのようなものは貴族院側の手札にはない。分を超えた主張は逆手に取られて王家に仇なしたもの見られ、自らの首を絞めるものとなる。
 リュゼ公爵らが拠り所としたアンリエッタ襲撃事件は、アンリエッタがアルビオンへと渡航した事実を公のものと出来なければ力を失ってしまうのだ。

 背景や意図を考えず、ここぞ好機と騒いだ貴殿らが悪い。
 口には出さず視線だけで議員らを非難すると、マザリーニは更に考えを巡らせた。
 もちろん、マリアンヌに責任の一旦がなかったとは言えない。だが彼女に、あるいは王家に、罪や責任を負わせるのは明らかに悪手だった。結局は事件が表沙汰になってしまうし、王家に傷を負わせるような真似はさせられない。マリアンヌの意向以前に、立太子を控えたアンリエッタの周辺で波風を立てる愚は避けねばならなかった。
 逮捕された三人にしても、アンリエッタの警備や世話を命じられたわけではなかった。クーテロ大使などはとばっちりの最たるものだし、シャティヨン提督もアルビオンの領空内で起きた襲撃事件の責任を問われては困惑するだろう。セルフィーユ子爵など、白羽の矢が立った時点で断ることの不可能な状況であっただろう事は想像に難くない。そして重要なことだが、アンリエッタは無事トリスタニアの王宮に帰還していた。命令を全うしたと主張することも可能な筈だったが、拘禁された身では無理がある。初動が遅れたというよりも、逮捕など想像もしていなかったに違いない。
 しかしながらアンリエッタの危機を声高に喧伝し三人を逮捕して騒乱を煽ったからと、貴族院の面子を潰すことも出来ない。アンリエッタを危険な目に遭わせたことが事実であっても、本来はその点を論拠に意見を具申することは出来ても、責任を追及することまでは出来ないはずだったが、国王の不在が貴族院の増長を招き本来の職分を大きく超越して権能の強化が為されていることが問題だった。王家の意に反してはいても、そこを突くわけにもいかない。それこそ、マザリーニの望む結末から外れてしまう。

 自分に一言相談があればまた違った展開になっていたかもしれないが、ここからが本番かとマザリーニはもう一度聖印を切り、マリアンヌの援護に回って議員らを封じ込めるべく頭を回しはじめた。

「議長、王政府として要望する。
 まずは先に貴族院より提出された『アルビオン王国への正式な抗議』、これを即時撤回していただきたい。
 マリアンヌ様の仰った内容について、諸兄には改めての説明は不用であろうが、こちらから波立てることはアンリエッタ様の立太子に支障が出ること間違いなし、と私は考えるが……。
 今一度検討……いや、いっそ議決を取っていただきたいのだが、どうであろう?
 議員諸兄のお顔を見れば、議論を重ねるまでもないように思うのだが……議長、如何であろうか?」
 マザリーニは議長であるリュゼ公爵に対し、『要望』を述べた。貴族院の議員ではないマザリーニには当然ながら議決や投票の権利はないが、王政府の宰相として意見や要望を出すことは多かった。今日のようにその場にいることは滅多になかったが、マリアンヌとアンリエッタの列席というあり得ない事態の前に、そのことは霞んでさえいる。
「うむ、宰相の要望には一理ありと認めよう。
 あー、諸君。聞いての通り状況は一変した。
 先日の議論が無駄であったとは言うまいが、このアンリエッタ姫殿下の正式な立太子という新たな側面を念頭において、今一度議決を取りたい。
 賛成の者は挙手、そうでない者は手を膝に置いてくれたまえ」
 マザリーニの言葉そのままに議決を取ろうとする議長の様子に、全てを無かったことにして日和見を決め込んだかと大半の者は思ったはずだ。何しろセルフィーユ領を騒ぎに乗じて安く買い取る予定だったのは、リュゼ公爵自身だった。
 法衣貴族にとり、領地を持つ諸侯への鞍替えはある種の憧れである。何より、収入には雲泥の差が存在した。その分の苦労を考えても利益は余りあるし、面倒ならば代官を雇用して丸投げするという手もある。
 しかしながら、王領の一般下賜という数年に一度あるかないかの千載一遇の好機に、年金の数十から数百倍という金額になる地代を用意できるほどの法衣貴族はそう多くない。数代かけてため込むか、つてを通して一気にかき集めるか。どちらにせよ一世一代の大勝負、上手くすれば後代まで贅沢に困らない暮らしが出来るのだが、それだけに道のりも険しい。
「うむ、うむ。
 全会一致で『アルビオン王国への正式な抗議』は撤回すると決まったことを、ここに宣言する。
 後ほど外務卿にもその旨連絡しておこう。
 ……宰相、よろしいか?」
「かたじけない」
 マザリーニは頷いて一旦引き下がった。
 次は三人の逮捕者についてであるが、こちらも逮捕そのものを取り消した上で、名誉の回復と、可能ならばセルフィーユ子爵には領地を押しつけたいところであった。
 ここで問題となるのは、既に逮捕状が発効していることだ。貴族院の面目を潰しては話が拗れそうだが、何とか話をつけなくてはならない。
「リュゼ公爵」
「はい、姫殿下?」
「逮捕された三人はどうなるのかしら?」
 なんとも単刀直入なことだと、マザリーニはアンリエッタを見やった。だがマザリーニでは明らかに角が立つこの発言も、アンリエッタならば許される。
「わたくし、ラ・ヴァリエール公爵のお怒りを間近で見ていましたの。
 怒鳴られたのはわたくしではなかったけれど、わたくし、どうしていいか分かりませんでしたわ。
 まさか、わたくしがアルビオンに行ったからです、なんてとても言えませんもの。
 セルフィーユ子爵にはわたくしの方でお話をしてみます。
 でも……公爵のお怒りを沈めて貰うのに、何か良い手はないかしら?
 それに他の方も問題ですわね」
 大嘘だった。
 筋書きとは違うが、入れ知恵をしたマザリーニは当然知っている。何より自分もラ・ヴァリエール公爵が激昂したその場にいたし、公爵はその時点でアンリエッタの渡航を知っていた。それに彼が怒鳴った相手は、セルフィーユ領を安く買いたたこうとしたリュゼ公爵だ。セルフィーユ子爵がどう思っているかは分からないが、マザリーニの知る彼の性格からすれば、恐らくは『怒っている』ではなく『困っている』のではないかと思う。
 だがアンリエッタの豹変とも言うべき成長振りに、アルビオン渡航が影響したことは間違いない。立太子を意識して彼女が旅程を消化し、危機を乗り越えて成長したのであれば、正に『セルフィーユ家の名誉』だった。セルフィーユ子爵はもちろん、いっそ空賊にさえ感謝しても良いぐらいだとマザリーニは埒もないことを考えそうになった。
 今日は実にめでたき日であると、心中で始祖に感謝をする。
 マザリーニの目の前で、先王より預かったこの国を次代のアンリエッタへと無事に橋渡しするという、ささやかかつ大胆な野望が一つの形を取りつつあるのだ。
「……まずは急ぎ、逮捕状を取り消しましょう。
 高等法院へと提出された三人の逮捕請求と不逮捕特権停止の認可状を撤回し、記録も抹消させます。
 その上で三人へは……そうですな、今回の事の次第を口外せぬと誓わせ、何か埋め合わせを提示するのが宜しいかと存じます」
「わしは議長のご意見に賛成しますぞ。
 勲章か何かを授けるのが無難でありましょう」
「駐アルビオン大使を呼び戻してしまったことについては如何か?」
「ふむ、逮捕は誤報としておくしかありませぬな」
「しかしそれではアルビオンが気を悪くしたまま放置することになろう。
 もう一手、何か必要ではあるまいか?」
 アンリエッタは議場の主導権を握っているとは言えなかったが、話題の中心に近い立ち位置を確保し、マリアンヌとマザリーニが見守る中、議員らのやり取りを注意深く聞いていた。
 
「大使と提督は爵位で打って封じるとしても、問題はセルフィーユ子爵ですな」
 会議はマリアンヌらの列席をそのままに進み、クーテロ大使とシャティヨン提督の『処分』はあっさりと決まった。だが、セルフィーユ子爵については扱いに困る部分が多く、話し合いは難航していた。
「同じく陞爵を以て手打ちにするわけには……」
「いや、それは逆効果ではありませんかな」
「宰相?」
「それは如何なる理由かな?」
「私も無論、検討は致しましたぞ。
 ……陞爵はまごうかたなき名誉、家の誉れでありますが、法衣貴族の方々と諸侯では少々差がございますな。
 法衣貴族の陞爵とあれば宮中での新たな席次と栄誉を得られ、同時に年金が増額されることはご存じのはず。
 ところが諸侯では、宮中で得られる席次と栄誉は皆様と変わらずとも、元からない年金はともかく、付帯して軍役の負担や役務が大きく変わることもご存じでありましょう?」
 セルフィーユ家は、当然ながら領地を持つ諸侯だった。
 家格が子爵家であれば有事には最低限でも一個中隊の軍役を求められるが、伯爵へと陞爵した場合、領地からの収入はそのままに大隊規模の軍役を求められることになってしまう。拒否するには軍役免除金を支払わねばならないが、当然ながらその額も家格に応じたものであった。陞爵を拒否する諸侯は過去に例が存在したし、実状を踏まえて領地を加増されたり、陞爵を見送り別の方法で功績を賞することも多い。
「ではどうせよと……?」
「伯爵位はそう濫発も出来ぬもの、なんとか説得を試みてはどうかな?」
「役務の免除か何か、特権を盛り込んで丸めてしまうことも手であるが、如何であろう?」
「そうですな……」
 マザリーニは腹案として温めていた三王領の下賜に話をどう持っていくか、思案しつつ口と頭を回した。

「では、今一度確認いたしますぞ」
 議場ではリュゼ公爵がまとめに入っていた。
 開会の宣誓が行われた時刻が夕方であり、大凡の対応が決まる頃には日が落ちている。
 会議の途中で逮捕状の撤回や抗議の取り消しなどに何度も人が走り、関係部署との連絡が行われていた。高等法院長や空海軍卿までもが議場に呼ばれる事態になったが、何とか王家、貴族院、王政府、逮捕者それぞれの面子を保たせたまま解決に向かう方向で話が進んだ。
 マリアンヌが表に出てきた時点で、全てが白紙にされたとも言える。あのマザリーニでさえ表情が固まっていたのだから、貴族院の議員達の驚きはそれ以上であったに違いない。
 リュゼ公爵は書記から議事録をまとめた紙束を受け取り、ざっと目を通して頷いた。

「一つ、アンリエッタ・ド・トリステイン姫殿下は国内での療養を終えられ、公務にご復帰されたことをトリステイン王国の公式見解とする。
 一つ、アルビオンに対して抗議は行わず。但し、アンリエ……ではなく『アン・ド・カペー』殿を襲った空賊についてこちらからも情報を提供し、調査協力を要請すること。
 一つ、駐アルビオン大使クーテロ男爵については逮捕記録を抹消、帰国後子爵へと陞爵し、引き続き駐アルビオン大使を任ずる。
 一つ、空海軍提督シャティヨン少将については逮捕記録を抹消、釈放後中将へと昇進、空賊討伐任務への復帰を命ずる」

 ここでリュゼ公爵は一度言葉を切り、汗を拭った。
 領地を得られなかったのは痛恨だが、それは別に構わない。予期せぬマリアンヌの登場によって、危うく自分の方が地位も名誉も失う可能性さえあったのだ。そのことを思えば取るに足りない問題である。またの機会を狙って雌伏するだけだ。
 ラ・ヴァリエール公爵との確執は残りそうだが、幸いにしてアンリエッタは両者にとって軋轢の少ない決着を望み、逮捕に伴う対価の支払いは王家から為されることに決まった。王家が間に入って仲裁した形になるが、貴族院にも咎めだてはない。問題を蒸し返すにはアンリエッタの提案を蹴らなくてはならないから、流石にラ・ヴァリエール公爵も口を閉ざさざるを得ないだろう。
「一つ、セルフィーユ子爵については……」
 リュゼ公爵は負けそうになった勝負を、ご破算にすることに成功したのだ。
 
 重要な案件も粗方片づき、会議も終わりかと皆の気が緩んだところで、数刻黙り込んで様子を眺めていたマリアンヌが発言を求めた。
「そうそう、皆様にはもう一つ、お願いがありますのよ。
 立太子の儀式のこと、これはみなさまの協力を必要とするわ。
 明日、もう一度集まっていただけるかしら?」
 拒否する理由は全くない。
 貴族院本来の領分でもあるマリアンヌの希望は、即時了承された。






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