年の暮れ、日めくりも残り僅かになった夜。 台所でお茶の用意をしていたはやては、なのはからの電話を受けていた。 「……お餅つき?」 『うん。うちのお店全員で毎年やるんだけど、はやてちゃん達もどうかな、って。 フェイトちゃん達も来てくれるから、もし、予定が入ってないなら是非来てね』 「うん、他のみんなも大丈夫やと思うから、行かせて貰うわ」 受話器を持ったままリビングを振り向く。騎士たちは、みかんを片手に何やら激論を交わしていた。 沈みがちだった空気も嘘のようである。 リィンフォースが旅立った聖夜からは、数日が経過していた。 「……何か持っていった方がええもんとかある?」 『えーっとぉ……別にないかな。 あ、ずっと外でやるから、ちょっと厚着の方がいいかも』 「うん、わかったわ。なのはちゃんありがとうな」 リビングの方は……どうやら単なるチャンネル争いらしい。いつものドラマと年末の特番とで、どちらを見るかシャマルとヴィータが言い争っている。それを横目に、こっそりとシグナムがリモコンに手を伸ばそうとしていた。 こたつに入りきらないザフィーラは、エアコンの吹き出しがあたる場所に二段重ねにした毛布を寝床にして、丸くなっている。気持ちよさそうだ。 『それとね……』 「うわ、それは面白そうやねー」 なにはの説明に、はやては普段は無口な守護獣を思い浮かべて楽しそうに笑った。 それは悪意のない、ちょっとした……なんだろう? とても素敵な思いつきに感じたはやては、それを家族、特にザフィーラには黙っていることにした。 「ちゅうわけで、もう決めてしもたんやけど、三十日はみんな予定ある?」 リビングに戻ったはやては、なのはからの電話の件を切り出した。 「いえ、特には……」 「私も大丈夫です」 「爺ちゃんたちも、と……と……『としのせ』でゲートボールお休みだ」 「……我は無論」 「ほな、決まりやな。朝の八時には出られるようにしといてな。 うっふっふ。楽しみやわあ」 主の笑顔に、騎士たちも相好を崩して微笑んだ。 そして当日。 「ヴィータ、遅いぞ」 「今行くって!」 玄関に集まった八神家の面々は、出かける支度を終えていた。 「ちょっと寒いですけど、晴れて良かったですね」 「ホンマやなあ、……あ、ザフィーラ!」 「はい?」 ザフィーラは、玄関の自分専用足拭きタオルの位置を修正しながら主の方に向き直った。 「今日は人間の姿の方がええかも」 悪戯っぽく、はやては微笑んだ。 「は、主がそう言われるならば……」 何かあるのだろうか? 疑問に思いつつも、真面目な守護獣は主の言葉を首肯した。 「そうそう、今日は多分、ザフィーラ人気者やで」 「は。……?」 人間形態に変じ首を傾げるザフィーラは、はやてから差し出された野球帽をかぶった。無論、彼には人気者になる心当たりはない。 「はやてはやて、餅つきって何やるんだ?」 車椅子の用意を手伝いに戻ってきたヴィータが、はやてに手を差し出す。 「平たく言うとお餅つくだけやねんけどな。 そやなあ、半分お祭りみたいなもんかなあ」 「お祭り?」 ヴィータの手を握るはやて。あたたかい。 「みんなで集まって賑やかにするんよ。 ほな、行こか」 冬の高い空が、寒いながらも綺麗な朝。 今日は四人と一匹ではなく、五人で家を出た。 「いらっしゃい!」 「あ、はやてちゃん!」 「おはよー、はやて!」 出迎えるなのは達に、はやては手を振った。アリサとすずかはかなり早くに来ていたようだった。エプロンをつけて準備を手伝っている。 「おじゃましますー。お呼ばれありがとーなー」 「ううん、来てくれてありがとう!」 「それにしてもすごい人数やなー」 高町家の人々やアリサ・すずからの見知った顔以外にも、老若男女数十人の姿がある。 「お店の方の店員さんだけじゃなくって、お兄ちゃんやお姉ちゃんのお友達とか、サッカークラブの子とか、近所の人とか……わたしにもわからないぐらい、かな?」 正にお祭りであった。 「そういうたら、フェイトちゃんは?」 「リンディさん達と一緒に来るから少し遅れるみたい。 昨日の夜のメールにそう書いてあったの」 「そーかー、管理局も大変やなー」 時空管理局嘱託魔導師とその後輩(予定)はため息を付いてしばらく顔を見合わせ、そのあと、二人くすくすと笑った。 「第一陣がそろそろ蒸し上がるわよー」 ご近所の奥様部隊をまとめ上げていた桃子が、士郎に声をかけた。 「ああ、ごくろうさん。じゃあ始めるかなー」 口に手を当ててメガホンを作る。 「おほん。 では、恒例の、一番杵を決める腕相撲大会を始めます! 我こそはと思う人は、前にどうぞ!」 周囲が一瞬静かになり、わっと歓声が上がった。 「はやてちゃん!」 なのはが八神家一同の方に走ってきた。 「うん!」 えっ、となる守護騎士達に、にこりと笑ってはやては告げた。 「ザフィーラ、頼んだで」 「は!? いや、我は……」 寡黙な守護獣は注目を浴びることに慣れていなかった。 「ええからええから。 そのために人間形態で来て貰ろたんや。 魔法でズルしたらあかんけど、ザフィーラやったら十分に勝てる。 たまには格好ええとこみんなに見せたり」 目を輝かせてザフィーラを見つめるはやてに、一同も頷く。もっとも、自分が矢面に立たなくていいからだと顔に書いてあった。 「はぁ……行って参ります」 気乗りしない様子ながらも、それでも上着をシャマルに預け、ザフィーラはなのはに手を引かれて行った。 背中から主のがんばってなーという声が聞こえる。 「今日はご招待いただきましてありがとうございます。乗組員を代表して御礼申し上げます」 「いえいえ、いつも翠屋をご贔屓にして頂いてありがとうございます」 なのはがザフィーラを士郎らに紹介していたところに、時空管理局ご一行様が到着した。 リンディを筆頭にエイミィ、クロノら含めたアースラスタッフが十数人。もちろんユーノもいる。 「あ、エイミィいらっしゃい!」 「おー、美由希ちゃーん! おひさ!」 挨拶を交わす士郎らの横では、美由希とエイミィがハイタッチしている。知り合ったのは半年ほど前だが、歳が近いせいもあって気が合うらしい。 もちろん、なのはの親友である金髪の少女も来ていた。 「おはよう、みんな」 「おはよう、フェイトちゃん!」 「ほら、こっちこっち!」 クロノらに隠れるように上気した頬をしてきょろきょろとしているフェイトを、アリサたちが引っぱり出した。あまりの人数に気後れしているらしい。 「こんなのはじめてだから……」 「大丈夫だよ、フェイトちゃん」 「あたしもびっくりしたけどなー、もう慣れたわ」 「そうそう」 気が付けば同い年の友達に囲まれている。 はにかんだようにフェイトは笑った。 「はーい、そろそろ腕相撲の方、締め切りますよー!」 「参加ご希望のかたはいらっしゃいませんかー!」 主催者である士郎の助手をしている恭也と忍が、声を張り上げて会場をまわっている。 「……なんか僕たち、場違いだな」 「……そんなことないんじゃないかな」 一方、クロノとユーノは賑やかな風景にとけ込めずにいた。二人は共に、こういう場は苦手なようだと自認しているらしい。 そしていよいよ、腕相撲大会が始まろうとしていた。 賞品は特にないが、強いて言うなら『名声』。 勝てば翌年、ご町内での評判がいやが上にも高くなろうというもの。 「がんばってね、あなた」 「ああ。でも、去年は恭也に持って行かれてるしなあ」 優勝候補の本命、高町士郎。折り紙付きの実力者である。 「なんとか、ギリギリだったけどね」 「恭也もがんばって」 去年の優勝者、高町恭也。町内の期待も高い。 「ザフィーラ、大丈夫?」 「うむ。あまり注目を浴びるのは慣れてはいないのだが……。 主はやてが嬉しそうに応援してくれている。負けるわけにはゆかぬ」 八神家代表、ザフィーラ。初参加ながら鍛え抜かれた筋肉が周囲を圧倒する。 しかしながら。 町内の力自慢である電気屋のご主人らは、今年こそと息をまいていた。 だが、彼ら三人は、明らかに格が違いすぎた。間違ってもご町内腕相撲大会の面子ではないなと、幾人かは思ったことだろう。 「ちょっと待ったぁ! あたしも出るよ!」 「アルフ?」 「あいつとは、一度きっちり勝負をつけないと!」 フェイトらと雑談していたアルフが名乗りを上げた。ザフィーラの参加を聞いて居ても立ってもいられなくなったらしい。 なのはたちもびっくりしている。 勝てば初の女性一番杵。 ……ついでに誰も気が付かないだろうが、史上最年少の優勝者となる。 「……アルフ、魔法使っちゃダメなんだよ?」 「大丈夫さね!」 自信満々のアルフにフェイトは心配顔だったが、楽しそうでもあった。 「はーい、それでは今年は十九人ですね。 クジで対戦相手を決めますから、順番に引いてくださーい」 桃子が紙コップに番号の書かれた紙片を入れたくじ引きを作り、士郎は模造紙にその場でトーナメント表を書き入れていく準備をしている。 次々と決まる対戦に、大きな拍手とどよめき。 幾人か子供が混じっていたりするが、毎年の光景である。年齢の制限は特にない。 純粋に力と力の勝負。体格や経験やその他諸々、子供には勝てる要素はほぼないが、一人前に扱って貰えるのが嬉しいらしい。そして大人達もそれを許容し、かつ、子供相手にも真剣に勝負を挑む。素晴らしいご近所世代間コミュニケーションであった。 その傍らでは手すきの旦那さんや大学生が、対戦台となる大きめの机を運んでいる。 いよいよだ。 もちろん、対戦は大いに盛り上がった。 「がんばれー!」 「わー!」 次々とご町内の力自慢が脱落してゆく。 準決勝は、奇しくも『実戦を潜ったことのある』四人になった。 「フェイトちゃん家のアルフさんか。女性だが確かに強そうだ」 「なのはのお父さん? なんだかすごい人だねえ」 なごやかに声を交わす二人。 準決勝第一試合、高町士郎vsアルフ。 (コートの上からでもありありとわかる鍛え上げた体躯……。それに、この人は明らかに実戦くぐっているな) (ふむ、さすが魔導師なのはの兄……恐ろしくとぎすまされた戦人のにおいがする……) よろしくと言葉少なに握手をする二人。 準決勝第二試合、高町恭也vsザフィーラ。 そして。 「うっそー! お父さんがお兄ちゃん以外に負けるの初めて見たー!!」 「あたしもだ……」 なのはと美由希が呆然としている。 第一試合は速攻をかけた士郎に対し、最初の一撃を耐えて士郎が力を入れ直そうとした瞬間に野生の本能で畳みかけたアルフに軍配が上がった。 若い女性が士郎に勝ったということで、会場は大いに盛り上がった。 「さすがザフィーラやなー!」 「そりゃあもう」 「魔力を伴わない力比べなら、私でも勝てません」 「やるじゃん!」 第二試合は一瞬で決着がついた。恭也を危険な相手だと認識したザフィーラが、気合いを入れたのだった。流石の恭也も、純粋な力比べにザフィーラが相手では分が悪かった。 会場も、異様な熱気に包まれていた。 「今年はすごいなあ」 「ああ、これは見物だな」 「まさか高町さん親子が負けるとは……」 決勝戦はザフィーラvsアルフ。 例年なら高町家の独壇場であった決勝戦は、初参加の二人によって争われようとしていた。 「いつぞやの勝負、まだケリはついてないからね!」 「……決勝はお前か」 少しの間設けられた、決勝前のインターバル。 がるるるると髪の毛を逆立てた風に威嚇するアルフとは対照的に、勧められるまま椅子に座って休憩していたザフィーラは、子供たちからぺたぺたと筋肉を触られてちょっと困っていた。 これが、主の言っていたことなのだろうか? これという実害もなく、子供達が嬉しそうなのでザフィーラはされるがままに揉みくちゃにされていた。 「そろそろ初めてもよろしいですか?」 ザフィーラに触っている子供達にごめんねと声を掛けながら。 司会進行を兼ねる桃子が二人を呼びに来た。 冬空の下。 会場はクライマックスに向かう。 気合いを入れるアルフ、泰然としているザフィーラ。 「はい、それじゃいくよー! レディ……GO!!」 大きな歓声が上がった。 「……くっ」 「いや、大したものだ。身体の大きさを考えれば、な」 顔を真っ赤にして力を入れるアルフ、 対してザフィーラは、ゆっくりと力を入れ続ける。 じりじりじり。 「あ……ちくしょー!」 「うむ」 「勝負あり! 勝者、ザフィーラさん!」 ごくあっさりと勝負がついた。 「ザフィーラ! やったー優勝や!」 「あ、主!?」 拍手と大歓声を背にやってきた車椅子の主に抱きつかれ、ちょっと驚いたザフィーラだった。 「すごい筋肉……プロレスラー?」 「わかんないけど……はやてちゃんの親戚の人だって」 「なんか格好いいねー」 「そうだね」 「あはは、ザフィーラもてもてやなあ」 出迎える八神家とありさやすずかに、ザフィーラは、照れた。 家族や友人以外の、周囲の誰もが彼の勝利に拍手していた。 一方。 「……ああ、くやしぃー!!!!」 「アルフ、おつかれさま」 「うわーん、フェイトー!!」 相当悔しかったらしい。隠していた尻尾がジーンズのお尻から出ていた。 「父さん……」 「いや、まいったな、技抜きとは言え、……世界は広いな」 「……はい、父さん」 そんな今年の立て役者らを見つめる高町親子。口では平素を保ちながらも、悔しそうであった。負けるとは思っていなかったらしい。 「えっと、ザフィーラさん?」 「はい」 「はい、それじゃあコレ、お願いしますね」 美由希から杵を渡され、ザフィーラは困惑した。 (グラーフアイゼンを模した木製の民芸品!? 優勝の賞品だろうか?) その様子にはやてがぷっとふいた。 「ああ、ザフィーラごめん。肝心なこと説明してへんかったな。 それであそこの入れもんにはいってる餅米叩いてつくんや。 あんまり力入れすぎたらあかんで? それから、途中で裏返す人の手ぇもたたいたらあかんで」 家族に向かって一生懸命身振り手振りで餅つきのレクチャーをするはやてに、ああ、異国の人なら餅つきは知らないだろうなと、餅つきを知る周囲の大人達は微笑んだ。 ぺたこん。 「はいっ!」 ぺたこん。 「はいっ!」 ザフィーラが杵を振り下ろし、こなれてきた餅米を桃子が裏返す。 「がんばれー!」 ぺたこん。 「よいしょ!」 ぺたこん。 「よいしょ!」 唱和する周囲の声も大きくなっていく。 近所の奥様もサッカーチームの子供達も管理局員も。 皆一丸となって。 「はい、ザフィーラさんストップ!」 「承知」 ぴたりと空中で杵を止めるザフィーラ。流石である。 「はい、お疲れさま。さあ、みんなで頂きましょ。 なのはー、お手伝いしてくれる?」 「はーい!」 ここからは奥様達の腕の見せ所である。 「じゃあ、わたしはお皿」 「あたしたちもいくわ!」 なのは達は紙皿や、別に用意された甘酒などの用意に走り出した。 「えーっと、お醤油、海苔、きなこ、あんこ、砂糖……っと」 「あ、美由希、バターはそっちよ」 調理という行程を含まないので、今日ばかりは恭也達も美由希を止めようとはしなかった。 一段落して。 「出来立て、おいしーね」 「うん。柔らかいなー」 「初めて食べるけど、美味しいな。素朴な味だ」 「うん。不思議と懐かしい味だね」 異世界の人々にも好評のようだ。 奥様方は蒸した餅米を準備し、出来上がった餅を食べられる形に仕上げていった。 男衆は交代で杵を振り上げる。 今は恭也が杵を握り、忍が餅を裏返していた。 「がんばって」 ぺたこん。 「そーれ!」 ぺたこん。 ……雰囲気が甘すぎて、誰も、近寄れなかった。 「はーい、焼けたわよ」 「あら、いただきまーす」 「リンディさん、それ砂糖つけすぎじゃ……」 「ぜんざいの用意出来ましたよー」 その場にいた管理局員は、甘党艦長の神髄を見たような気がしていた。 艦長の息子とその友人は、笑顔のリンディから手渡された『砂糖砂糖砂糖砂糖醤油餅』を黙って口に運んでいた。 砂糖の入っていない緑茶を差し出してくれたフェイトとなのはが、女神に見えた。 「このっ!」 「はい!」 「えいっ!」 「はい!」 子供ながら気合いの入った見事な杵さばきに、周囲からも歓声が上がった。 鉄槌ならぬ木杵の騎士の誕生である。 「ヴィータちゃんがんばってー!」 「さすが、グラーフアイゼンの使い手だな」 「うむ」 当然と頷く守護騎士達であった。 「あの歳にしてあの手さばき……なのはのお友達はすごいな」 「うんっ!」 士郎からヴィータを褒められて、なのはは満面の笑顔で頷いた。 「さあ、鏡餅とか作らないとな」 「みんなの分もあるから、ここからが本当の勝負なんですよ」 「では、我も……」 休憩に入っていたザフィーラや士郎、恭也らも再び立ち上がった。何のかんのいいながらも、仲良く負けず嫌いな戦人たちだった。 ぺたこん。 ぺたこん。 「お鏡のあと、豆餅が終わったら海老餅ですからねー」 「はーい、甘酒ですー」 「ぜんざいのおかわり、まだありますよー!」 冬の高い高い空に、笑い声と杵の音がこだましてゆく。 膝掛け毛布の端っこをつまんでぱたぱたさせながら、はやては思った。 去年はいなかった家族がいて、友達がいて。 背を向けていた、背を向けられていると思っていた世界が、今は手の届くところにある。 哀しい日もあったし、素敵な日もあった。 色々あったけど、今年は……よい年だった。 色々あるだろうけど、来年もきっと、よい年だろう。 「ありがとう、な」 誰にも聞こえないように、それでも声に出して。 はやては小さくつぶやいてみた。 (了) |