棒しむーん その4 特別付録 紙巻の艦長と細巻の巫女 / 書いた人 「」 ウオオオォォォォォン!  短音一回の警戒警報が艦内に響き、午後の静寂が破られた。 『艦首一時方向に機影!』 「機種と数は?」 『おそらく礁国飛行機械! 機影は三! 南南東に向かって低速にて飛行中!』  三機編隊で低い速度。これなら定時偵察の一隊と見て間違いあるまい、とワウフは考えを巡らせた。 (まだ気付かれてはいないか……)  コール・テンペストが一線に復帰したアルクス・プリーマに戻され、遺跡への強行軍を行った直後。  メッシスが宮国・礁国・嶺国の三国国境付近での礁国空中補給基地の捜索を新たな任務として、二日が過ぎようとしていた。  空中補給基地は、先日コール・テンペストが接触したと思しき空域からは既に姿を消し、未だその足取りはつかめていなかった。 「全艦戦闘配備! 操舵手、メッシスの高度を落とせ!」 「はっ!」 「やりすごせるかな……?」 「艦長!」  若い足音が艦橋に響いた。  正規の乗組員に、こんな軽快な足音の持ち主はいない。 「シヴュラ・ヴューラ、シヴュラ・アイ」  彼女たちは、コール・テンペストに代わって臨時に配属された、メッシスに二人きりのシヴュラだった。  コール・テンペストらと共に、宮国を代表する大型艦アルクス・プリーマに所属していたコール・ルボルに居た二人とあって、共に優秀なシヴュラである。  特に、シヴュラ・ヴューラはルボルのレギーナを任されていただけに戦術眼にも恵まれており、ワウフも一目置いていた。 「敵機ですか?」 「はい。礁国の……多分、旧型飛行機械ですな。向こうもこちらを探しておるようです」 「昨日もこのぐらいの時間に現れましたね?」 「ええ。午前に一回と午後に一回、律儀なものです」 『敵機、北の山陰に消えました! 他の機影認めず』  誰ともなく、息をつく。 「やれやれ……。艦内を通常の警戒配置にもどせ!」 「はっ!」 「お騒がせしましたな、シヴュラ」 「いえ。……艦長?」 「なんです?」 「お髭、剃られた方が宜しいですよ。いい男が台無しです」 「ほっ!? ……これは恐縮です」  緊張の解けたブリッジに笑い声が響いた。 「レギーナ、わたしは髭のあるほうが好きだなー」 「フフ、アイは野性的な男の方が好みか?  それから……アイ、私はもうレギーナではない。ただのヴューラでいい」 「ええ、でも……」  嶺国の巫女による自爆攻撃によってコール・ルボルのシムーンは壊滅し、残ったシヴュラ達も混乱の中、泉行きを余儀なくされた。  ヴューラとアイはそれらをはねのけ、前線行きを志願したのだ。  たった二人と一機のシムーン・シミレでは、コールと呼ばれる存在ですらない。  だが、アイはヴューラをレギーナと呼び続けていた。  彼女なりの、ルボルへの思いの最後の拠り所なのだろう。 「こちらもそろそろ偵察に出る時間だな。着替えて甲板に出よう」 「はい!」  こつこつと、小気味よい足音が通路に響いた。  敵機を見失ってから小一時間。特に変わったこともなく時間は流れていった。 「艦長、もうすぐシミレが出ます」 「おう、手の空いている者は見送りに出ろ。  ……これぐらいしか我々には出来んのだ。盛大に見送って差し上げろ」 「了解!」  ヴューラ達のシミレは、薄暮から夜間にかけてと、僅かな休憩を挟んで深夜から払暁にかけての一日二度、偵察に出ていた。  半日以上にも及ぶ飛行時間の上に、その大半を距離感のつかみにくい夜間が占める。更に、勝手知ったる宮国内での哨戒飛行ではなく、いやが上にも緊張を強いられる敵国内への偵察飛行だった。  相当な無理をさせているのは、ワウフにも分かり切っている。  だが、仕方がないと割り切るには、彼には情が溢れすぎていた。  当初予定された空域の偵察には、上手く事が運んだとしてもあと二日はかかる。  しかし、それでも発見できるとは限らないのだ。  敵補給基地の能力についても、コール・テンペストの報告と、僅かに得られた新型機の残骸から類推されるごく限られたものでしかない。  搭載機数はおろか、実用上昇限度、機動性、防御火力も明かではなかった。  これまでにない性能の、おそらくは大兵力であろう敵の存在はワウフの気分を滅入らせていた。  同時刻、飛行服に着替えた二人のシヴュラは甲板に出ていた。  天気は快晴で視程はまずまず。気温は平年並みで季節風が吹いている。今は過ごしやすい季節だが、飛行するメッシスの甲板はそれなりに風が強かった。  飛び立つのは常に二人だけなので、飛行前の状況確認が簡単に済むのは多少なりともありがたい。  歩きながら地図を広げて、お互いに今回の飛行経路を確認する。地図には碁盤目状に線が引かれてあった。何も印がないのが今後偵察する予定の空域、赤で斜線が引かれているのが偵察済みの空域だ。  大まかな手順は艦長も交えた最初の会合で決められている上、作戦の目的も概要も、さほど複雑な物ではない。作戦地図を元に三人で幾度か話し合った経路を順に飛行し、礁国空中補給基地の位置を特定する、ただそれだけだ。  だが、蓋を開けてみれば、この作戦は個人の技量に大きな比重が置かれたやっかいな代物になっていた。  今回の作戦では戦局も戦力も逼迫している為、通常行われるような編隊による偵察行は出来ず、単機による偵察行しか行えない。  単機の上にシムーンに対して性能が劣るシミレでは、敵機に発見された場合の生残性が極端に低下する。編隊の場合では、最悪、囮の機体が敵を引きつけている間に残りの機体が情報を持ち帰ることも望めるが、単独行の場合にはそれさえも出来ない。  危険度が跳ね上がることはヴューラ達も承知していたが、同時に納得もしていた。  後がない。  これがワウフも含めた三人の共通した思いだった。  そしてもう一つ。  シヴュラの二人は、たとえ偵察が不完全であっても生還を第一におくこと。  何かを察したのか、ワウフからは司兵院の命令に反する様な「要望」が強く出されている。  単にヴューラ達を心配しているだけでなく、もっと大きな視点で作戦を見ていることは雰囲気で悟ったが、ワウフの表情は読めなかった。 「今日の一回目の偵察行は、西の二十一番から二十六番と三十一番から三十六番。これはいいな?」 「ええ、了解です!」  地図に記された区分けの数は便宜上百数十にのぼるが、その全てを偵察するわけではない。 「くれぐれも敵に気を付けること。  見つけたらやり過ごすか、それが無理なら逃げる。これもいつも通りだな。  これは私的な意見だが……急旋回を続けるなら、たとえ新型機でもシミレの後ろは取れないはずだ。  これが小回りだけならシムーンといい勝負が出来る、単座のシミレならまだいいんだが……いや、無い物をねだっても仕方ないか」 「はい」 「それと、これはワウフ艦長には内密だが……」 「はい?」 「もし敵機から逃げるなら、メッシスの位置とは違う方向にするつもりだ。  悪くても宮国内まで逃げ切れば、どこかの地上部隊か、街か村かにでもたどり着けるだろう。後は何とでもなる。  ……この艦には、何があっても生き残って貰わなきゃならない」 「はい」  アイは神妙に頷いた。  そう、ヴューラは知っていた。  宮国の戦力は、ほぼ底をついている。余剰はない。  たとえシヴュラがいても新規のシムーンが手にはいるはずもなく、シミレでさえも数が足りなくなっている。  そして、メッシスを失うことは、シヴュラとシミレを失うこと以上に大きな意味を持つ。  詳しくは聞いていないが、この方面の兵力はメッシス一隻と、数箇所に地上部隊が配備されているにすぎない。  そんな中でメッシスを失えば、酷い結果になることは分かり切っていた。  アルクス・ニゲルは西大聖廟空域で孤軍奮闘し、復帰したアルクス・プリーマは宮国最後の盾として後方に留め置かれている。  増援は、あり得なかった。 「シヴュラ!」 「お気をつけて!」 「テンプスパティウムの御加護を!」  シミレのアウリーガ席に足をかけたヴューラが何事かと見れば、整備班だけでなく、厨房から機関部、砲員、果ては艦橋要員までがシミレの周囲に集まっていた。呆れたことに、見張り台で手を振っている者までいる。  何故かしら、偵察の回数を重ねるごとに見送りの人数が増えていくのだ。 「ありがとう、いってきます」 「どうぞ、途中でお召し上がり下さい!」 「いってらっしゃいませ!」  小さな包みと水筒をそれぞれ手渡され、ヴューラ達はシミレに乗り込んだ。  アウリーガ席に収まったヴューラは、後ろを振り向いてサジッタ席のアイと目をあわせる。 「レギーナ!」  彼女はヴューラを見てにっこりと微笑み、それからゆっくりと人差し指をたててぐるりと回した。 「それはいいな」  ヴューラも笑顔で頷き返し、ヘリカルモートリスの出力を上げた。  僅かに浮上し、降着姿勢から飛行姿勢に。そして、メッシスより少し高度をとる。  それからゆっくりと、薄暮れを背に空を一周した。  本来は二機以上で行うものだが、今ここに、それはない。  対となる架空の一機を想い描きつつ、二人で空に祈りを捧げた。  だれも傷つけない。  誰も惑わせない。  儀式のためのリ・マージョン。  軌跡のない蒲公英のリ・マージョンがメッシスを包み込み、甲板からは大きな歓声が上がった。  ワウフは甲板にこそ行かなかったが、艦橋でそれを見送っていた。  見えないはずのリ・マージョンが、彼の脳裏に焼き付けられる。  酷く胸を締め付けられたが、無論、部下にそれを見せることはない。 「行かれたか……シヴュラの方々も粋なことをなさる」 「はい。見事なものです」  シミレを見送ったメッシスには、再び静けさが戻っていた。  シヴュラはやはり光だ。そこに存在するだけでも、周囲の空気を変容させる。 「……さて、少し休憩を取らせてもらうとするか。後を頼む」 「ええ、ごゆっくり」 「……ああ、髭もあたらなきゃならんかな」 「シヴュラ直々のご要望ですからね」 「うむ、疎かには出来んな」 「はは、まったくです」  部下達の敬礼に軽く手をあげて応じ、ワウフは艦橋を後にした。  ワウフはそのまま後部甲板に向かった。文字通り一服するためだ。  戦闘糧食の空き缶を利用した灰皿が一つあるだけの、喫煙所とも呼べない代物だったが、警戒配備中は飲酒および艦内での喫煙は厳禁とされている。艦長自らが軍規を破っては、流石に外聞が悪い。  珈琲でもあればと思ったが、艦尾に向けて歩いているうちにそれはどうでも良くなった。  隔壁を兼ねた後部甲板への扉を開きながら、梨地仕上げの煙草入れを取り出す。残っているのは、両切りの紙巻き煙草が三本。それを大事に取り出し、一本を銜える。  それから燐棒を隔壁で擦りつけて発火させ、手早く紙巻きに火を付けて軽く吸い込んだ。  きつい香りが喉と肺をえぐるが、それがむしろ心地よい。  前線での嗜好品の配給量は、戦局の悪化に正比例して落ちていた。メッシスとて例外ではない。  糧食や装備弾薬、医療品は、充分ではないもののヴューラ達シヴュラの配属時に僅かながら補給があった。しかし、煙草を含む嗜好品や石鹸などの生活用品は、半量制限を課さねばならない状況にまで追い込まれている。  規定では、前線で作戦中の場合、煙草の配給量は一日六本、酒精類は果実酒に換算して月に一瓶、甘味・酒肴は適宜となっている。後方の勤務では、煙草は五本などと嗜好品の配給量は落とされるが、勤務後に市街で買い求めればいいだけのこと。敵地に近い場所で任務に就く独航艦では、無理な話だった。  先日行われた、シムーンを利用した特殊作戦の時にも隊長の口からもそんな話が出ていたが、地上部隊と比べれば、メシッスはずいぶんとましなのだろうとも思う。 (それにしても……)  ワウフは大きく紫煙を吐き出し、煙草から口を離して外気を肺奥に取り込んだ。  宮国最高のコールのコールと謳われ、つい先日までメッシスに乗りこんでいたコール・テンペストの巫女さま達は、ものの見事に個性派揃いだった。  コール・テンペストを迎え入れたときに、シヴュラ・フロエあたりからはさんざん不満を聞かされた。他のシヴュラに諫められてからは、なりを潜めてはいたようだが、顔にはしっかりと書いてあった。シヴュラ・アウレアやシヴュラ・アルティらも、慣れない生活に苦労されていたようだ。  メッシスがシヴュラを迎え入れるにふさわしくない艦だということは、ワウフも重々に承知していた。そのための設備も何もあったものではない。居室だけでもと一番大きな兵員室を空にして、手すきの乗組員総出で清掃を行ったほどだ。コールに付随する整備員達には、これまた申し訳ないが窓一枚きりの元倉庫へ入って貰った。ワウフ自身もシヴュラ・ドミヌーラに自らの艦長室をあてがい、執務は食堂、睡眠は艦長席での仮眠か、当直中で空きになっている部下の寝床を借りるかした。  かと思うと、シヴュラ・モリナスは嬉しそうな顔でメッシスの模型を作られていたし、シヴュラ・アーエルはワウフのことを「おっちゃん」呼ばわりはするものの、ワウフも含めて誰に対しても気さくで人好きのする態度で、乗組員にも慕われていた。シヴュラ・マミーナに至っては自ら包丁取って手料理を振る舞われ、名門出と聞かされていたシヴュラ・ロードレアモンは、厨房の掃除をすすんで引き受けていたという。  しかし、シヴュラ・ヴューラとシヴュラ・アイはどうだろう。  ワウフはもう一つ紫煙を吐きだした。  コールにはそれぞれの色が出ると言うが、それだけであろう筈がなかった。  二人からは、メッシスでの生活に対しての要望は無論、文句の一つも出なかった。不思議とメッシスに馴染んでいるが、自らを律し、淡々と任務に精励しているようにも思える。若い娘のそれではなく、古参兵のような雰囲気を漂わせていることも多い。  シムーンが儀式でのリ・マージョンのみを行っていたというのは、軍歴の長いワウフでさえも直接は知らないような過去の話だ。  中央に戻ると、かつての同僚や部下らと旧交をあたためつつ情報や近況を交換し合うワウフだが、大聖廟での儀式に参加しないまま散っていったシヴュラも、少なくないと噂に聞く。 「熱っ!」  気がつけば火種が指を焦がそうとしていた。  ついていない。 「ここも敵影はなし、と」  地図に印をつけながら、ヴューラは口に出して確認してみた。メッシスを飛び立って約二時間、あたりはとうに暗くなっている。天気がよいせいか、月明かりと星明かりが山陰をも照らしていた。こういう場合は、中途半端に飛ぶよりも高空に駆け上がった方がいいと、ルボル時代の夜間哨戒を通してデュクスのグラギエフから学んでいた。  残す空域はあと七つ。  空中補給基地にも敵機にも出会わない。灯火管制がなされているのか、街明かりすらも見あたらない。 「レギーナ、機位の確認に入ります」  と、アイがそれに応じた。  シミレを空中に静止させ、おおよその位置を再度確認する作業だ。山の形と方位磁針を参考に、計器板の明かりだけで航法を行うのはつらい作業だ。アイはよくやってくれている。パルとして心強い。  すぐに結果は出た。予想とは、さほどのずれは生じていないようだ。  ヴューラ達も回数をこなし、シミレ単独での偵察に慣れてきていた。  明るいうちは地面を這うようにしてじりじりと機体を進め、夕日が完全に落ちてからは高空を高速で飛行する。  最初の日は曇り空で地形が読みにくく、二人が共にサジッタとして優秀な筈のヴューラ達でさえも、機位を見失いかけた。  複座機と違い、操縦と航法とを一人で行わねばならない単座のシミレでは、夜間の偵察はなおさら厳しいだろう。  そして、二人ではありえない孤独感もつきまとうのだろうか、と考える。  アイと二人で任務をこなす中、ヴューラはパルという存在の重みを、痛いほどに感じていた。  我が良き片羽とは、よく言ったものだ。いったい誰の言葉だったか。  口元が寂しい。煙草でも吸えればいいのに、とヴューラは思った。  それでも、夜間偵察行はまだまだ続く。 「さあ、行こうか!  次の空域が終わったら、森にでも降りて休憩を入れよう。  昨日持たせて貰った蒸し物は美味しかったからな。  今日も期待しよう!」 「はい、レギーナ!」  ヴューラは大きく頭を振って気分を切り替え、次の空域にシミレを向けた。 『十一時方向にシミレ! 近づきます!』  艦長席でうつらうつらと仮眠をとっていたワウフは、部下の報告に目を開けた。 「……無事のご帰還か」 「ええ、被弾している様子もありませんし、大丈夫でしょう」 『シヴュラ・ヴューラ、シヴュラ・アイの機体と確認。一番の駐機場に降りられました』  予定の時刻よりも少々早く、日付が変わる少し前になってヴューラはメッシスに帰還した。 「少し離れるぞ。シヴュラのお迎えをして報告を受けてくる」 「了解しました」  そのまま飛行甲板に降りたワウフだったが、シヴュラの姿は既になかった。 「シヴュラのお二人は?」 「艦内に入られましたが……お会いになりませんでしたか?」 「しまったな、入れ違いか。  ……機体に損傷はないな?」 「はい、シヴュラも敵には出会わなかったと仰られていました」 「そうか、機体の方は宜しく頼む」 「はい、艦長」  そのままいそいそと艦橋に駆け戻る。  はたして、シヴュラ・ヴューラはそこにいた。 「艦長」 「申し訳ありません、シヴュラ。入れ違いになったようで」 「いえ、私が艦橋より先に自室に戻ったので、そうなってしまったのでしょう。  お気になさらないで下さい」  見れば、ヴューラの手には通常の報告に使う飛行用記録板の他に、少々大きな飛行計算尺と地図であろう丸めた紙が握られていた。 「シヴュラ・アイはどうされました?」 「疲れているようなので、寝かせました。  夜間の飛行では、アウリーガよりもサジッタの方が負担が大きい」 「それは失礼しました。  ……敵との接触はなかったと整備の者に聞きましたが、何か問題でもありましたか?」 「ええ。  ……いえ、問題、ではないのですが、少し思いついたことがあるので……」  少し言いにくそうな顔をしながらも、ヴューラはワウフの言葉に頷いた。 「わかりました。  シヴュラ・ヴューラ、あなたもお疲れでしょう。  食堂にでも行きましょうか?」 「ええ、お願いします」  食堂には、十数人分の夜食が作り置きしてあった。  現在のメッシスは、作戦目的に合わせて当直・夜勤の乗組員を通常よりも増員してあるのだ。  逆に昼間は、少し減らしてある。 「何か飲むものでもご用意しましょう。私も少し休憩を入れます」 「お世話をかけます」 「湯が沸くまで少々時間がかかります。先にお召し上がり下さい」 「ええ」  厨房にいるワウフの耳にも、いただきますと言う小さな声が聞こえてきた。育ちの良さというものだろうか。  私物の濾し器と賓客用の取っ手のついた茶器を探しながら、ワウフはそんなことを考えていた。  湯が沸く間を利用して強火で豆を煎り、熱いうちに荒く挽いていく。これを濾し器に移して豆の上から直接湯を注ぎ、豆を沈めて浸出を待つ。野趣溢れる煎れ方だが、昔、上官から伝授された手際だ。その上官は南部の出身だと聞いていた。 「ところでシヴュラ、お話というのは?」  茶器をそれぞれの手に持ちながら、ワウフはヴューラの向かいに陣取った。右手の茶器を差し出す。 「ええ、……いただきます」 「どうぞ。味の方は保証しますよ」  ヴューラは茶器を口元に運び、薫りを味わってから口を付けた。  その表情を見て、ワウフは付け加える。 「気に入って頂けたようで、なによりです」 「酸味も苦味も強いのに、惹かれる味。  それにこの薫り……見事です」 「恐縮です」  ヴューラはもう一口珈琲を楽しんでから、茶器と食器を傍らによけ、地図を広げた。 「……今回の飛行で、予定された空域のほぼ半分の偵察が終了しました」 「はい」 「宮国内と、最初に空中補給基地が発見された、三国が国境を接する北西部域にいないのは、間違いないでしょう」 「ええ」 「当然、そこで考えられるのは、残りの偵察空域でも礁国、または嶺国どちらかの内陸部です」  それはワウフにもわかっている。ヴューラの方も、説明をしやすいようにと、話の枕に状況の確認を持ってきただけだろう。  ヴューラは地図に向けていた顔を上げ、正面からワウフを見据えて切り出した。 「昼間に飛んでくる敵機……出来れば新型機が出た場合に、これを追跡をする、というのはどうでしょう?」 「しかし、それは……」 「ええ、危険は承知しています。しかしこれほど効率のいい方法もない。  ……違いますか?」  それは、ワウフも最初に考えたと同時に、最初に否定した方法でもあった。  俗に「送り狼」とも呼ばれる常套の戦術で、地上でもよく用いられる手法である。敵の斥候や補給部隊を敢えて見逃した上で、適度な距離を保って追跡、敵の本体に案内させることを指す。  確かに、効率はいい。  但し、危険度は無視できないほどに大きく上昇する。  敵旧型機はともかく、新型双発機と複座シミレの性能を比較した場合は、若干シミレが優秀ではあるものの、ワウフが見る限りさほどの開きはない。ましてやテンプスパティウムの加護のないシミレでは、リ・マージョンを行うこともできない。  しかも敵は常に複数機で行動し、その数も多いのだ。  特に、午後の追跡では宮国と礁国・嶺国の位置関係から逆光で敵機は見えにくく、こちらは発見されやすくなる。  敵機に比べ、速度と機動性に優れた複数機のシムーン、例えば定数の揃ったコールが手元にあるならば、即座に採用されてしかるべき方法であった。  敵機は則ち兵器であり、搭乗員の乗る機械でもあった。永遠に飛べる筈もなく、故障もすれば搭乗員も疲労するだろう。当然、基地なり補給処なりが必要で、この付近で大きな基地といえば、それは礁国空中補給基地に他ならない。 「それに、悪い方法とばかりは言えませんよ」 「……」 「上手く行けば一度で敵の尻尾がつかめます」 「!」  ワウフが思わず息を呑んだほど、シヴュラ・ヴューラの眼には迷いがなかった。  それに惹かれるかのように、ワウフの心も決まった。腹も括った。  若い頃に見た、シヴュラ時代のアヌビトゥフを思い出させる。  彼女……いや、彼もそんな眼で飛んでいたか……。あの頃はまだ、戦にも幾分の余裕が感じられただろうか。 「……シヴュラ・ヴューラ、それで行きましょう。  仰るとおり、我々に与えられた時間は限られている」 「ええ。シヴュラ・アイには私から話しておきます」 「お願いします」  ワウフもヴューラも、お互いの覚悟が伝わったせいか、状況に似つかわしくないほど明るい気分になっていた。 「おや、すっかり冷めてしまったようだ。  宜しければ煎れ直しますが、いかがです?」 「喜んで……あ」  何かを思いだしたのか、ヴューラは飛行服の胸元を探った。しかし、そこにはなにもない。  だが、ヴューラが何を探しているのかは、ワウフにもすぐわかった。彼も上着の同じ場所に、ヴューラと同じ物をしまい込んでいる。 「ははは、シヴュラ・ヴューラ。  珈琲は後部甲板にお持ちすることにしましょう」 「フフフ、ええ、是非」  ヴューラも晴れやかな笑顔でそれに答え、空いた食器を持って立ち上がった。  あてがわれている兵員室に戻ったヴューラは、アイの寝顔を眺めてから、丸めた地図と使わなかった計算尺の引き替えに、煙草と着火具を持って後部甲板に出た。飛行服のままで、着替えてはない。  連夜の飛行でアイ同様疲れているはずだったが、気力がそれを補っていた。  風は、昼間に比べて幾分弱まっている。かわりに少し雲がでているようだ。  ヴューラは、純銀の削り出しで作られた、凝った意匠の煙草入れから細巻を取り出して銜えた。同じ意匠の着火具を口元に寄せて手で覆う。かちりと火を付け、一息吸い込んだ。 「お待たせしました」 「ありがとうございます、艦長。再びご馳走になります」  ワウフは先の一杯とは違う、立ったままでも持ちやすい器に煎れた珈琲を持って現れ、一つをヴューラに差し出した。  このあたりの気遣いの細やかさや、先程ヴューラの提案に対して即断を下したような大胆さが同居しているところが、ワウフをワウフたらしめている重要な部分なのだろうと、ヴューラは思った。切れ者としても、人格者としてもワウフの名は通っている。人脈も広いらしい。  悪い噂も多いが、むしろ中央との確執に端を発するものが殆どで、部下を庇って自ら泥を被り、さらにその泥を上層部に塗りたくるといった類の武勇伝が大半を占める。上層部に煙たがられていることは間違いないが、予備役にも編入されずに第一線で腕を振るっていることから、宮国屈指の名指揮官であることも疑いない。  要するに、正義感が強すぎる上に切れすぎたんだな、とヴューラは結論付けた。無論、嫌いではない。最上級の賛辞を贈ってもいいほどだ。 「珈琲のお礼に、如何です?」  ヴューラは煙草入れの蓋を開けて、ワウフに差し出した。 「ほう、こりゃあ上物だ。喜んで頂戴します」  ワウフは嬉しそうに、細巻を一本取り出した。  官給の安煙草に慣れた身には、大変な代物である。 「では失礼して……」  ワウフは懐から燐棒を取り出そうとしたが、それをヴューラは手で制した。 「どうぞ。火ならここに」  火の着いた細巻を銜えたまま、ヴューラはワウフに顔を近づける。 「……恐縮です」  柄にもなく、ワウフはまるで少年のように顔を赤らめた。  兵員室に戻ったヴューラは、二度目の夜間偵察を中止にしたことをアイに伝え、二人共に飛行服を脱いで充分な睡眠を取った。気力も体力も充実している。  陽の高さに、敵の定時偵察に接触しやすい頃合いかと艦橋に足を向けた。 「おはようございます、艦長」 「おはようございます、シヴュラ。よく眠れましたか?」 「ええ、ありがとうございます」 「艦長、私たちはこれから甲板に待機します。それから、帰還の刻限ですが……」 「はい」 「おそらく、幾度と無く足止めを食うでしょう。  ……下手をすると翌朝か翌深夜になります」 「ええ、ですが……」 「二日で戻らない場合は見捨てて下さい」  それぞれにわかってはいた事だが、いざ口に出して音にすると、冷酷さがいやが上にも増した。 「……わかりました」 「では」  昨日と同じく、小気味よい足音を残して二人のシヴュラは艦橋を後にした。  迷いはない。  やがて。  ほぼ理想通りの形で、メッシスは敵機に遭遇した。  昨日と同じく機影は三。但し、新型機。 「今日はついてる。行くぞ、アイ」 「はい!」  メッシスを離れたヴューラ達は、高度を低くとって敵機の後をつけた。  今日は見送りはない。敵機発見後の即時発艦が求められたために、二日分の糧食や水が、朝のうちに積み込まれていた。艦長も、昼間なら多少は役に立つだろうと、伸縮式の単眼鏡を持たせてくれた。 「さて、今日は長くなりそうだ」 「はい、レギーナ」  目標の敵機を視界の隅におきながら、他の敵も探さなくてはならない。  一度に追えるのは一編隊だけだが、見つかるわけにもいかなかったし、複数の敵機の進行方向や高度が判明すれば、それだけ敵基地のある場所を絞り込める可能性が高くなる。  今いるような、国境部に広がる人の少ない山岳地帯の森林部はともかく、平野部に向かわれるとまずいな、ともヴューラは思っていた。  隠れる場所がないと、敵をやり過ごすにも一苦労である。戦闘はなるべく避けたかった。発見したところで大きく移動されるだろうし、自分たちもメッシスに帰り難くなる。  高度を出来るだけ下げてシミレを飛行させながら、ヴューラは考えた。  恐らく、これまで経験したどの戦いよりも、長く厳しい飛行になるだろう、と。  ヴューラ達のシミレがメッシスを飛び立って約二時間が経過した頃。  メッシスは艦体を山陰に降ろし、息を潜めていた。  見張りだけは増員しているものの、艦には半舷休息を命じた。  昨日まではメッシス自身も動き回っていたが、作戦の変更でそれも不要になった。シミレが戻るまでは、隠れていること以外さしあたって火急の懸案はない。  しかし、それは外からの報告で破られた。 『艦尾五時方向に機影!』 「敵か!?」 『いえ、シミレが一機! ……本艦のシミレではありません!』 「だろうな。……近づいてくるか?」 『はい、間もなく艦橋からも見えると思います』 「わかった。引き続き警戒を続けてくれ」 『了解しました』  ワウフは副官に向き直った。 「……何の用かな」 「さて……流石にはかりかねます。  作戦を方針ごと変えるような事件でも、起きたのでしょうか」 「それこそ計り知れんな」  ワウフとメッシスに今更否も応も無いが、ヴューラ達シヴュラを余計なことに巻き込むのは御免だと、ワウフは思った。帰還した彼女たちに会わせる顔がなくなる。 「シミレ、着陸します」 「おう」  出迎えた方がいいかなと思いながら、ワウフは前部の駐機場に着艦した複座型シミレを見下ろした。  整備員が駆け寄っていく。  ほどなくアウリーガ席の風防が開かれ、見慣れない飛行服のシヴュラが姿を現した。少なくとも、コール・テンペストのシヴュラではない。サジッタ席には誰も居ないようだ。  整備員と何事か話し、甲板に降り立つ。手には通信筒らしきものが握られている。正規の伝令のようだ。 「艦長室で受ける。……何か飲み物でも頼む」 「了解です。……おい!」 「はっ!」  副官の声と同時に、通信担当の艦橋要員が厨房に向けて走っていく。  ワウフも席を立ち、艦長室へ足を向けた。  ワウフが艦長室へと戻ってほどなく、艦長室の扉が叩かれた。 「艦長、失礼します!  先程のシミレで到着なさった巫女さまをご案内しました!」 「おう、ご苦労」 「はっ! 巫女さま、どうぞ」  整備兵に案内されて入ってきたシヴュラは、かなり小柄だった。  丁度、コール・テンペストのシヴュラ・アーエルとシヴュラ・リモネの中間ぐらいの身長だろうか。新米のシヴュラらしく、初々しい雰囲気を漂わせている。  シヴュラに続けて、珈琲を持った当番兵も入ってきた。相変わらず素早い。 「ご苦労、下がってよし!  ……初めまして、シヴュラ。ようこそ我がメッシスに。私が艦長のワウフです」 「は、初めまして。私はキサラと言います。  あの、司兵院さまよりこれをお預かりして来ましたっ!」  彼女はずいぶんと緊張した様子で、通信筒を両手に持ち替えて差し出した。つられてワウフも、両手でそれを受け取った。 「はい、ありがとうございます、シヴュラ・キサラ。確かに受け取りました。  ……返信を持って帰って貰わねばならないと思いますので、それまでどうぞ、そちらでご休憩下さい」  ワウフは小さな執務机と共に自室に備えられている、これまた古い作りの応接机の方を示した。  ところが、キサラは何かそわそわしている。 「あ、あの、艦長……」 「はい、何でしょう、シヴュラ・キサラ?」 「私、まだシヴュラでなくて……見習いなんですっ」 「はっ!?」  消え入りそうな声でキサラは言った。うつむいている。  ワウフの方は、怒りを通り越して呆れ果てていた。  司兵院の馬鹿は何を考えているのか。練習生を最前線への伝令に使うとは、無茶にも程がある。 「よくぞこのメッシスまでご無事に……苦労なさったでしょう?」 「いえ、距離は長かったですけど、シヴュラ・アウレアが」 「ほう、シヴュラ・アウレアが?」  無論ワウフにも、先日までメッシスに滞在していたコール・テンペストのレギーナ、シヴュラ・アウレア・ネヴィリルの事は記憶に新しい。 「手ずから絵地図を描いて下さいまして、それを見ながら飛んできました」 「なるほど」 「それからこれを。シヴュラ・アウレアからお預かりしてきました」  キサラは小さな薄桃色の封筒を取り出した。封はされていない。キサラの為の、ワウフに向けた信用状かと思い至った。封緘していない手紙を預けるだけの信用に足る存在、という意味合いで、公営郵便の発達した現代に於いても、未だ貴族社会では広く使われていると聞く。 「こちらも確かに受け取りました。  さあ、珈琲が冷めますよ。どうぞお楽になさって下さい」 「はい、ありがとうございます」  彼女が座るのを見届けてから、ワウフも執務机に向かった。  先ずは、と通信筒を開封し中身を取り出す。防水と防火の処理が施されている金属製の筒は、それなりに重い。  中身は一枚きり。透かしの入った正規の命令書の様だった。 「な……、馬鹿な!」  丸まった命令書を広げて、ワウフは思わず声を上げた。驚いたキサラが身体を小さくする。  司兵院の署名の入った紙に書かれた命令は、わずか一行。 『メッシス艦長ワウフは、可及的速やかにアルクス・プリーマへ出頭の事』  これだけだった。  前線で作戦中の艦から艦長を呼び戻すなど、正気の沙汰ではない。  これが何を意味するのか、状況を照らし合わせてみる。  メッシスに対する命令の変更はない。大聖廟ではなく、アルクス・プリーマへの出頭ということは、解任や異動でもない。もしそうでも、代わりの指揮官を寄越すなり、副官の野戦昇進に関する書類があるなりするだろう。単なる嫌がらせとも考えにくい。  まあ、我が身一つなら何とでも立ち回ってやるさ、とワウフは考えるのをやめた。  それからワウフはもう一つの届け物であるシヴュラ・アウレアからの手紙を開いたが、中身はハルコンフからのものだった。  先日までの娘およびコール・テンペストの滞在に対しての手短な礼と詫び、キサラが娘の付き人であること、司兵院の暴走と宮主との関係悪化、自身の政治的影響力の低下などが書き添えられ、コール・テンペストも身動きがとれないと締めくくられていた。  向こうもただ事ではなくなってきているようだ。  しかし、ワウフに中央の事情を知らせてくるなど、副院主も情報の使い方を心得ているのかいないのか。流石に黄金の巫女の父上だけあって侮れない。  だが、これで出頭命令の意味は解けた。  恐らくは、司兵院が影響力のさらなる向上でも狙って、礁国・嶺国連合軍に対する攻勢でも企図しているのだろう。コール・テンペストも身動きが取れないということが、それを裏付けた。  そして、メッシスを前線に張り付けたままで任務に変更がないということは、目標は礁国空中補給基地と見て間違いない。  これは確かに一度戻った方がいいかと、ワウフは考えた。作戦中とはいえ、暫くは、そう、シヴュラ・ヴューラ達が戻るまではメッシスを動かすつもりはない。敵の大攻勢でもあるなら話は別だが、ほぼ定時偵察の飛行機械がうろついているだけでその兆候はない。  ワウフは文箱から紙と万年筆を取り出し、不在の間の指示を書き上げた。  副官への指示は僅かに数行で済んだ。長年のつきあいがそれを可能にしている。  それから同じ紙にシヴュラ・ヴューラへの短い伝言もしたためた。こちらも数行である。  内容の被る部分の省略された、極めて簡潔な伝言とも覚え書きともつかないものが完成した。 「シヴュラ・キサラ」 「え、あの、私……」 「いや、敢えてシヴュラと呼ばせていただきましょう。  ……命令は、私自身をアルクス・プリーマに召喚するものでした。  申し訳ないのですが、すぐに行かねばなりません。  お疲れだとは思いますが……」 「はい、大丈夫です」 「では、参りましょう」  艦長室を出たワウフは、キサラを伴って艦橋に向かった。  一人呼びつけ、キサラを先に甲板まで送らせる。  それから副官に先程届いた命令書を見せ、伝言を書いた紙を預けた。この方が分かり易い。 「出頭命令ですか……無茶なことを」 「遅くとも明日中には戻るつもりだ。  もしかしたら、シヴュラ・ヴューラ達の方が早くお戻りになるかも知れない」 「ええ、お任せ下さい」 「迷惑を掛けるな。……すまん」 「いえ、艦長こそお気をつけて。中央は魔物が住んでいるともっぱらの噂ですから」 「まったくだ。辺境にさえ、そんなものはいないというのにな……。  では、行って来る」 「はっ! 総員、敬礼!」  艦橋の全員が踵を合わせ、ワウフに敬礼を贈った。  普段は軽く手を挙げるに留めるワウフも流石に気を引き締め、答礼を返す。  ワウフが甲板に出ると、キサラは既にシミレのアウリーガ席に収まっていた。余計に小さな印象を受ける。 「お待たせしました、シヴュラ・キサラ。  ……これをどうぞ。途中、何も口にされていないでしょう?」  急ぎ厨房で用意させた乾麺麭と氷砂糖の入った小さな包みと水筒を、ワウフはキサラに手渡した。 「急なことでこんなものしかありませんでした。申し訳ない」 「いえ、ありがとうございます」  お腹がすいていたのだろう、キサラは嬉しそうにそれを受け取った。 「では行きましょうか、アルクス・プリーマへ」 「はいっ!」  よっこらしょとワウフもサジッタ席に収まり、二人を乗せたシミレはメッシスを後にした。 「また見失ってしまいましたね……」 「ああ。仕方ないさ。  しかし、これでおおよその見当はついたな」 「はい。運が良かったんでしょう」  ヴューラ達は、メッシスを出るときに最初に見かけた敵編隊を二時間ほど追ったが、平野部に入られたことで諦めた。国境は、既に越えている。  見失ってからも別の敵機を求めて、国境付近の木々の間をを縫うように偵察を続け、陽が傾きかけた頃になって漸く別の一隊を見つけ、同じように追跡をはじめた。  あやうく半要塞化された敵地上部隊の陣地に近づきそうになったが、幸いにして砲火を向けられはしなかった。  そして重要なことに、どちらの敵編隊も礁国内で最後に見失ったときの針路は、ほぼ西北西。  出来ればもう少し数をこなしておきたいところだったが、陽が暮れる。 「アイ。陽が完全に落ちたら、今度は高度をとってシミレを西北西に向けて少し飛ばしてみようか」 「はい、レギーナ」  少しでも、情報は絞り込んでおきたい。時間がなかった。 「レギーナ! 左手に!」  アイの声が裏返った。  ヴューラも息が止まった。  西の空に、無数の黒点が見えた。何という数だろう。  軽く見積もっても百は下らない。 「着陸する!」 「はい!」  まだ見つかっていないという確信はある。今でさえ、木々すれすれの高度を飛行していたのだ。  ヴューラはシミレに降着姿勢をとらせ、風防を開いた。  借りた単眼鏡を黒点の群に向ける。 「礁国の新型機だな。針路はこれも西北西……いや、もう少し北よりか」 「そうですね。……ああっ!?」  アイが声を上げた。  振り返ると、アイは計算尺と硬筆を手に、地図に何やら書き込んでいる。 「どうかしたのか?」 「レギーナ!これを見て下さい!」 「あ!」  ヴューラも声を上げた  アイの示した地図には、時間の記された三本の直線が書き込まれ、その交点は、地図上の一点で交わっていた。  それは今日見た二つの編隊が向かっていた先と、今見えている大編隊の向かう先が同じ、ということである。  そしてその交点は海上にあり、あれだけの大編隊が向かうような基地や街はない。また、針路の欺瞞が必要な理由も見つからなかった。 「決まったな」 「はい」 「今の内に休憩だ。陽が落ちたら急いでメッシスに戻ろう」 「はい!」  陽が完全に落ちるまでには、今少し時間がかかる。  礁国内で見る夕日は、宮国で見える夕日よりも赤い気がした。  同じ頃、ワウフはアルクス・プリーマの艦内にいた。  出頭命令は、予想された通りの礁国空中補給基地への偵察・攻撃に関する会議への出席を求めるもので、取り立てて目新しいことはなかった。  強いて言うなら、シヴュラ・アーエルとシヴュラ・ユンが今回の作戦から外されることぐらいか。  シヴュラ・アーエルの祖父のことは、シヴュラ・ドミヌーラの過去を詮索した時に名前が出たのでワウフも知っていた。シヴュラ・ユンの方はどうだろう。取り立てて気になる話は聞いたことがない。  シヴュラに引き合わされた時は韜晦しておいたが、政治的理由で作戦を行い、更に貴重な戦力に制限を加えるなど、上層部は腐っているとしか思えない。カマをかける必要もなかった。宮主も裏で何か別の糸を引いているようだったが、相手が宮主では、流石にこちらから探りを入れるわけにもいかない。  収穫は、アヌビトゥフやグラギエフらと短いながらも意見を交換できたことぐらいか。車椅子姿も痛々しいハルコンフと、翌朝コール・テンペストと共にメッシスに派遣される予定のシヴュラ・アウレアには、預かった封筒をちらりと見せるに留めたが、彼らたち父娘はそれだけで理解したようだ。  とんぼ返りでメッシスに戻らねばならないものの、それでも大聖廟に降りて昔なじみと顔を合わせ、探りを入れておく。ワウフの突然の来訪に驚いていたようだが、快く迎え入れてくれた。茶飲み話のついでに補給の不足を嘆くと、やはりどこも厳しいらしいことがわかった。大聖廟のあるここでも状況は変わらないらしい。  それでも無理を言って需品部に掛け合わせ、部下に行き渡る程度の嗜好品を確保する。シミレで運べる量なので限られているが、無いよりはましだろう。礼を言って別れた。  それらを抱えてアルクス・プリーマにもどると、シミレには再びキサラが待っていた。代わりの者はいないらしい。他の練習生がいるにはいるが、キサラに対しては遠巻きに同情の目を向けている。 「シヴュラ・キサラ、誰か正規のシヴュラはいらっしゃらないのですか?  ……メッシスはこの後戦場に向かいます。あなたに連れていて貰うわけにはいかない」  ワウフの背後を、ワポーリフが近づきいてきた。 「ワウフ艦長、この大聖廟には、コール・テンペスト以外のシヴュラはもうお一方もいらっしゃいません」 「お一人も……?」 「はい、お一人も。  コール・テンペストの方々と、今はメッシスにいらっしゃるシヴュラ・ヴューラ、シヴュラ・アイ。  現在私がお世話すべきシムーン・シヴュラは、これで全てです」 「むう……何と……」  ワウフは唸り、ワポーリフも目を伏せた。  ワウフには、これさえも司兵院の差し金かと思えてきた。シムーンが無いことを理由に宮主の力を削ごうとでもいうのか、はたまた、考えたくもないが敗戦後の処理を楽に……和平条件……?  水面下で停戦交渉でも行われているのか?  今の時期に、大博打とも言える敵基地への攻撃を行うのは、少しでも事を有利に運ぼうとするための布石か……?  いや、いまは止そう。それどころではない。  ワウフはキサラに顔を向けた。 「シヴュラ・キサラ、あなたは先程の往復で疲れているはずです」 「ですが、司兵院さまが……」 「ぐ……あの馬鹿は……!!」  再びわき上がってくる怒りを必死でこらえる。 「シヴュラ・キサラ、やはり降りて下さい。  一人でメッシスに帰ります」 「でも……」 「大丈夫、こう見えても若い頃はよく飛ばしていたもんです。  ……そうだ、何か書くものはありませんか?」  キサラは足下から飛行記録用紙を取り出した。  ワウフはそれを受け取り、さらさらと何かを書き付けてワポーリフに手渡した。 「ワポーリフ、これをシヴュラ・アウレアに手渡しして下さい。  ……それで何とかなるでしょう」 「申し訳ない。手すきなら私が送って差し上げられるのですが……」 「ありがとう。気持ちだけでもありがたい。  例の件は聞いていると思う。……コール・テンペストを宜しく頼みます」 「はい」  ワウフは荷物をサジッタ席に放り込み、アウリーガ席に乗り込んだ。 「シヴュラ・キサラ、あなたもこれから大変だと思いますが、大丈夫、あなたは良きシヴュラになられるでしょう。  何人ものシヴュラを見てきた私が言うんです、間違いない」 「ありがとうございます、ワウフ艦長」 「さあ、離れてください」 「はい」  シミレの風防を降ろしたワウフは、キサラとワポーリフに軽く手を挙げ、アルクス・プリーマを飛び立った。  それが夕闇に紛れて見えなくなるまで見送ってから、ワポーリフは預かった紙片を広げてみた。キサラも背伸びをしてそれをのぞき込む。 「ワポーリフさん!」 「ああ、急ごう。君も一緒に来なさい」 「はいっ!」  そこには、シミレを乗り逃げする旨と、それについてキサラの責任を問う必要がないことをハルコンフに伝えて欲しい、とだけ書かれてあった。 「艦長が、アルクス・プリーマに!?」 「はい、今日……いえ、日が改まったので昨日の昼になりますが、伝令のシヴュラとともにアルクス・プリーマに向かわれました」  夜半過ぎ、ヴューラ達のシミレは無事にメッシスへと帰還した。ところが、肝心のワウフはアルクス・プリーマに召喚されてメッシスにはいないと言う。  ヴューラは副官から受け取ったワウフからの伝言を読み、続けてアイに渡した、。  礁国空中補給基地が見つかり次第すぐに作戦が行われるであろう事、その際にメッシスが使われるであろう事など、ワウフの予測が書かれている。 「艦長が戻られるまで、とりあえずメッシスは現状待機の予定です。  シヴュラの方々もどうぞお休み下さい。  ……艦長のこの手の伝言は、私の知る限り大きく外れた試しがありません」 「わかりました。そうさせてもら……」  ヴューラがいいかけたとき、見張り台からの大声が響いた。 『至近に機影!……あ、いやシミレです! 艦長です!』 「なっ!」  驚くヴューラをよそに、副官は肩をすくめてみせた。 「いつもこうなんですよ。  どうやったものか、艦長の乗ったシミレが通常の距離で視認されることはありません」  副官は、常にワウフの乗る機体は、勝手知ったるメッシスの死角をついてまわるのだと続けた。  ヴューラも呆れたが、夜陰にまぎれてとはいえ、ものすごい技量だ。元シヴュラだとは直接聞いたわけではないが、その線が濃い。でなければ、運用にしても作戦にしても、あれだけ見事な指揮に説明がつかない。  ヴューラ達は甲板に迎えに出た。報告もしておきたい。  甲板に降りると、既にワウフはシミレを降りていた。 「艦長!」 「シヴュラ・ヴューラ、シヴュラ・アイ、お戻りになられていましたか! 「はい。敵基地のおおよその位置がつかめました」  ワウフの顔が引き締まった。 「そうですか。  ……こちらも動きがありました。明朝、コール・テンペストの皆さんが我が艦にいらっしゃいます」 「では、やはり……」 「ええ」  ワウフはしばらく何かを考えていたようだが、顔を上げ、手近の整備員をつかまえて言った。 「見張りを残して全員を食堂に集めるように、艦橋に伝えてくれ」 「了解!」  走り去った整備員を横目に、ワウフはヴューラに向き直った。 「シヴュラ・ヴューラ、シヴュラ・アイ。あなた方もお願いします」 「はい」  敵基地のことやアルクス・プリーマでのことを、互いに話ながら歩く。  艦長が二人のシヴュラとともに食堂に着く頃には、あらかたの乗組員が集まっていた。  副官が号令を掛ける。 「艦長到着、傾聴!」 「おう、だいたい揃っとる様だな。早速はじめさせて貰う。  まずは報告だ。こちらにいらっしゃる二人の巫女様の活躍により、敵空中補給基地のおおまかな位置が判明した。よってこの作戦は終了する。  引き続き……」  ワウフは一旦言葉を切った。 「引き続き、本艦は敵基地への攻撃作戦に参加する。このために、明朝にはコール・テンペストの巫女さまが本艦にいらっしゃることになった」  おお、と乗組員がどよめいた。 「邂逅場所は現在位置から少し東よりになるが、巫女さまをお迎えした後、全速で礁国との国境付近まで進出しこれを支援する。  ……場合によっては本艦が直接砲火を交える場合もあり得る。そのように心得ておけ。  今後については以上だ」  それからゆっくりと、乗組員の顔を見渡し、笑った。  雰囲気の変わったことを見て取ると、ワウフは続けた。 「ではこれより、作戦前恒例の、命の洗濯を行う。  日の出前までは半舷休息とし、食堂に限って飲酒・喫煙も許可する。見張りは適度に代わってやれよ。  ……但し、コール・テンペストの巫女さま達がメッシスに着くまでに酒は抜いておけ。  では、解散!」  食堂に大きく歓声が上がった。  ヴューラも見事なのものだと感心する。指揮官かくあるべし。  レギーナも、意味合いと規模が少し違うものの、同じ様な次元の能力を要求される。 「いや、一つだけ言い忘れていた」  急に賑やいだ食堂で、わざとらしく一つ咳払いをして、ワウフはもう一度乗組員たちの注目を集めさせた。 「あー、乗り逃げしてきたシミレに酒と煙草が積んである。これも自由にしてよろしい!」  歓声は、更に一段と大きくなった。  急に場末の居酒屋の様になった食堂に驚いていたヴューラ達に、ワウフは声をかけた。 「シヴュラ・ヴューラ、シヴュラ・アイ」 「はい」 「なんでしょう?」 「お疲れのところ申し訳ないが、暫くだけ、彼らにつき合ってやって戴けますかな」  ヴューラは艦長の意図に気がついたが、黙っていることにした。それに、こういうのも悪くない。彼女自身も飲みたい気分だった。  アイの方を振り返るが、彼女も微笑んでいる。 「はい、喜んで」 「恐縮です。  ……おい、誰か杯を持て!  巫女さまが乾杯の音頭をとってくださるそうだ!」 「か、艦長!」  ヴューラは慌てたが、ワウフの声に一瞬静まり返った食堂は、急に慌ただしくなった。 「おおー!」 「こっちにもまわせよ」 「おい、酒、酒!」 「足りねえぞ!」  暫くして、酒を満たしたてんでばらばらの酒杯や茶器を手に、乗組員達は再び静かになった。 「ではシヴュラ・ヴューラ、お願いします」 「はい」  ヴューラは椅子で組まれた即席の壇上に立ち、杯をかかげた。  思い思いに自分を見つめる視線に笑みを返しつつ、言葉を探す。  いや、探す必要はないか。  こういう場面に最もふさわしい言葉は、たった一つしかない。  巫女も兵士も、老人でも子供でも知っている言葉。  ヴューラは大きく息を吸い込んだ。 「テンプスパティウムの御加護を!」  続けて全員が唱和し、夜通しの宴がはじまった。 (了) 附記 <物語の背景>  第17話「遺跡」の直後から、第18話「葬列」のほぼ終盤まで。テンペストの面々が、丁度メッシスにいなかった間の出来事。ヴューラ達が偵察行っている間の話。  第18話「葬列」Bパートの会議の場面の前後、幾度か確認したが大聖廟の船着き場にはメッシスの姿はないにも関わらず、会議の場にはワウフがいる。  また会議の翌日と思われる第19話「シヴュラ」ではメッシスに到着したテンペストをヴューラ、アイと共に迎えており、ヴューラ達がテンペストと入れ違いにメッシスに配属され、シミレで偵察に出ていたとの発言がある。 <シミレ>  本編にはアーエルの祖父譲りの機体や第22話「出撃」でアヌビトゥフが搭乗した単座のものと、練習や連絡、軽輸送などに使われる複座のものが登場する。  航法については、描写されていた単座型の操縦席内部の計器の数(4個程度)から、極初期の航空機相当とするのが妥当であろう。少なくとも、機体の姿勢と方向を示すジャイロらしきものは見て取れた。ただ、同じ計器に複数の情報を切り替え式に表示する可能性も否定出来ない。  このことから、地理の不案内な夜間の敵地偵察を行うならば、複座機に二人で乗り込む方が良いと判断した。なお、本編での描写から、礁国の機体には無線機が装備されていることが判明しているが、宮国はシムーンの糸電話もどきと艦内放送ぐらいしか見あたらない。電気工学については礁国側に一日の長があるようだ。 <メッシス>  乗組員の数は推定ではあるが30〜50名程度かと思われる。戦前〜戦中の客船、貨物船、戦時標準船や護衛空母等の資料をあたった。砲員や機関部員その他は推測でしかないが、食堂の規模などからこのあたりとする。  メッシスはシムーンやシミレを露天に駐機するので搭載機数を確認しやすいが、第17話の時点ではメッシス上にシミレは確認できない。第19話での登場時にはヴューラ達のものと思われる複座型シミレが2機駐機されている。  甲板のマーキングを見ると常用機は6機のようだが、第19話では、先に到着したテンペストの4機にシミレ2機の計6機に加えて、アーエル=ユンのシムーンもメッシスに降りて帰ったと思われる。間隔を詰めれば10機程度は搭載できそうである。  余談になるが、アルクスプリーマの方は、運用だけなら200〜500名、シヴュラ関連(整備班や練習生も含めて)最大で1000名程度か? 大型の格納庫があるが、少なくとも3コール18機+複座シミレを最低でも6機は運用、単座のシミレも複数載せており、搭載能力にはかなりの余裕があるようだ。 雑記 <煙草>  この話のを作ろうと思ったきっかけは、無論のこと例のわっふんのイラストから。  ワウフはフィルターのない両切り煙草。イメージとしては「桜」や「敷島」。立場的には「誉」か。もしくは刻み煙草を手巻き。  ヴューラはシガリロ。いわゆる細く巻かれた葉巻。銘柄は不明……というか、流石に知らない。  煙草入れ(シガレット・ケース)は軍人には必須なイメージで。他に登山家・船乗りなど。 <飛行計算尺>  飛行時間×飛行速度=飛行距離、残燃料/燃料消費率=残飛行時間などの公式が当てはめてある目盛りがうたれた、スライド式の直線定規または分度器のような機械式計算機の一種。2〜3枚の定規が重なったような外観。計算尺には、飛行用の物以外にも対数計算や建築用途など、かつては幅広い分野で使われていた。これと時計、方位磁針、地図だけで夜間飛行をこなしていた時代もある。大型機では船舶用の六分儀なども使われた。  飛行中以外にも、地図を相手に作戦を練る場合などに使用された。 <ワウフの珈琲の煎れ方>  南米式の煎れ方の一つ。主に深煎り・粗挽きの豆を使う。ポットと茶漉しで、茶のように扱うことも多い。  昔ながら伝統的な方法として、カップに直接豆をいれて湯を注ぎ、沈むのを待って静かに飲むこともある。この場合は、飲み終わるまで豆が入ったままになる。 <用語>  作品世界とのバランスをとるためと、物語全体に敗色濃厚な悲壮さを与えるため、外来語をなるべく使わないか、漢字で表記するようにした。カタカナ表記は固有名詞と関連用語に絞った。但し、あまり多くはないものの、本編では「翠玉のライン」などと外来語の使用も散見される。  珈琲などはともかく、現在ではあまり使われていない言葉が大半だと思う。  以下に幾つか記しておく。  燐棒=マッチ、着火具=ライター、酒精=アルコール、意匠=デザイン、乾麺麭=乾パン